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金メダルと「ラスカル」に、ビールサーバー

最年少金メダルで話題となったスケートボードの西矢椛さんが
メダル獲得後に中山楓奈さんと「ラスカルの話をしてた」と発言し、
世間は“ラスカルってどのラスカルだ?”とザワつきました。


懐かしいアニメの名前がこんなところで出てくるとは!
は異口同音におっさんおばはん(失礼!)の
我々世代全員の一致した意見だったでしょう。


実はわたくし「世界名作劇場」大好きおじさんです。
まだ金と銅を獲得した二人が生まれる前の2001年、
「ラスカルと世界名作劇場展」へ伺ったことを思い出しました。


大阪堺と神戸で開催された、その両方に参加し、
ミニシアターで上映されているラスカルの最終回に
涙して出て来れなくなったらどうしよう…
と考えていると、最終的に六人になったので、
泣きながら帰る30代半ばの大男の図は公開せずに済んだ思い出があります。


もう20年も前じゃないか。


そもそも、あらいぐまラスカルとは?

1977年に、世界名作劇場という一年間かけて
一つの作品を放映するアニメシリーズで(例外あり)、
全話数が52話ですから特番で飛んでしまうこともない時代です。


平均視聴率21.6%ですから、みんな見てた、
という表現でおよそ間違いないでしょう。
まだ漫画を見るなんて、アニメを見るなんて、
と教育ママが口酸っぱく言っていた時代ですが、
教育に良い影響のある題材“名作”を選んでいるがゆえ、
このアニメは見てもよかったはずなんです。
(ちなみにわたくしはまだ幼児でしたので、再放送組です)


ストーリーの概要としては…
アメリカのウィスコンシン州の小さな町ブレールスフォードに、動物好きのスターリング・ノースという少年がいました。
彼は或る日、母親が猟師によって殺されてしまった赤ちゃんのあらいぐまを手に入れ、ラスカルと名付けて育てることにしました。
スターリングは母の死や、父の事業の失敗、近所からの動物への迫害などをラスカルと一緒に乗り越えながら、人間として成長して行くのでした。
そして、成長したラスカルを仲間たちの元に返すときがやってきて、スターリングはまた一歩、青年へと成長するのでした。


あらいぐまラスカルの世界観

せっかくなので、自分なりの考察をご紹介しましょう。

世界名作劇場の中では、珍しく肉親が劇中で死を迎えます。
たいてい「世界名作劇場」では、片方あるいは両方の親は
物語が始まる前にいなかったりするパターンが殆どですが、
「あらいぐまラスカル」では母親が劇中で病気になり、
亡くなってしまいます。
「フランダースの犬」でもおじいさんが劇中で亡くなりますが、
スターリングの母の場合はかなり長くひっぱり、
母親は病気で遠くの町の病院に入院していなくなり、
暫くして家に帰ってきてから死ぬというかたちになっています。


さらには、「サタデイ・イブニングポスト」の新聞配達が
キッカケでハリス老人に出会いますが、この老人も
病気で亡くなってしまい、母親の死を克服したかに見えた
スターリングの心を、もう一度ドン底に叩き落してしまうというところは、
他のシリーズ作品と少し違った印象がありました。


そのわりに人間のキャラクターはとても弱い作品です。
まあ、動物がたくさん出てきて触れ合うので、
致し方ないところではあります。
特にスターリングの二人の姉においてはこれといった
際立った特長も見受けられず、どっちがどっちか分かりにくいし、
更には大親友のオスカーの顔さえ今は思い出せません。


その分、ラスカルには強烈なキャラクター性があり、
たくさんのグッズが以降発売され、
今日までそれが増え続けているというのは
この作品の大きな特長ではないでしょうか。


クラフトビールにカルチャーはあるか?

今回、初めてスケートボードがオリンピック競技に採用されましたが、
競技者からは技術だけを競うものではないという話が何度か聞かれました。
競技として新しい技を開発するのはもちろんですが、
彼らはそれらを含んだ生活までもを“カルチャー”と呼びました。


それをクラフトビールと照らし合わせてみるとどうでしょう?


全国から地ビールを取り寄せ、樽生で提供するというシステムは
東京・両国の「ポパイ」から始まりました。(以下、敬称略)


日本にそんなお店がまだなかった時代に、ポパイのオーナーが
海外のシステムをお手本にして、独自にアレンジも加え、
「アオキシステム」(パーフェクトビアサーバー)というのを
十数年がかりで改善を重ねながら構築していきます。

特長としてはビール樽をまるごとプレハブ冷蔵庫で温度管理し、
ガスボンベから分岐したガスホースが、
それぞれのビールの特性に合わせてガス圧で調整されているというもの。

そのシステムは、クラフトビール黎明期に起ちあがった
その下の世代のお店にも継承されていきます。(2005年頃から)
下北沢にあった「うしとら」や大阪・堺の「eni-bru」など。

そこから更に、専門のビールサーバー業者が登場します。
①醸造設備をメインとしながらアメリカシステムを取り入れる業者
②日本の大手冷蔵庫メーカーがクラフトビールメインの改造をする部門
③クラフトビール好きが高じて土日だけシステム業者をしていたらそちらがメインになった業者
そんなビールサーバーにも多様性が出てくるわけです。(2010年頃から)

弊店(エデン特急)は、前述の「eni-bru」、
つまり「アオキシステム」で修行時代を過ごし、
エデン特急として独立して、③のビールマニアの業者に
狭小店舗用の3タップのスライドドア冷蔵庫タイプというのを
初めて造っていただきました。

まあ、ホント、このサーバーのおかげで、
アシの早いクラフトビールが品質高くキープできるんですよ。


こうして「アオキシステム」を起源として、
日本全国(海外)のクラフトビールが樽生で、
楽しめるようになったのです。
機材だけでなく、知識や技術も受け継がれ、
それはスケートボードで何度も言われる
“競技ではなくカルチャー”という部分にも重なるのかもしれません。

(ちょっと無理があったかな?笑)

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