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「何もしない」教育にこそ価値がある

この文章は主に
自己犠牲的な働き方をやめられない教師向けに書いています。

理想や情熱は人一倍あるのに、なぜか報われず心身を擦り減らすような感覚のある人は、ぜひ最後まで読んでください。

また「教師」を主なターゲットにしていますが、自己犠牲的な働き方はどんな職種にもあてはまりますので、適宜ご自身の仕事のやり方にあてはめて、振り返るきっかけになればさいわいです。価値あるコンテンツになっています!

さて、前回のコラムで、
お腹の空いている子どものために自分の頭をちぎって与えるアンパンマンのような働き方をしている人にこそ、オススメのマインドセットを紹介しました。

それは、
何もしなくていい、何もしないほうがいい、
あなたは存在しているだけで仕事をしている、という考え方です。

今回のコラムでは、
何もしなくても生徒と一緒にいるだけで価値があるし、
何もしなくても生徒に感謝されることがあるのだ、
という僕の経験を具体的にお話したいと思います。

今から10年前です。
Y君という生徒を高校3年生で担任することになりました。

Y君は、クラスのムードメーカーで場を和ませるのが得意。
・・なのだけど、
一方で、正義感が強すぎるところもあり、曲がったことが大嫌いな性格で、
態度の悪い生徒や理不尽な教師の言動を見ると、イライラを止めることができず、
ときどき、つかみ合いのケンカになることがありました。

自分も何度か、その衝突の場面に立ち会いました。
そのときは、「はいはい、やめよう」と言って仲裁に入り、両者の興奮を沈めますが、
その後、特に事後指導のようなことは行いません。

根掘り葉掘りケンカの原因を追及したり、
お互いの言い分を聞いたりすることが好きではないし、
今後に向けて振り返りを行うことにも意味を感じないからです。

「ケンカはやめろー」「ご機嫌でいたほうが得だぞー」という声掛けをする程度。

ケンカがあったことは認める。
彼がつかみ合いをしかけたことも事実として確認する。

それだけです。
それだけでいいと思うのです。

授業ではむしろ、彼は積極的に発言もするし、よく笑うし、笑わせるし、
彼がいると授業がやりやすいなーありがたい存在だな、と感じていました。
でも、それだけです。
授業後に話しかけられれば応じるけど、特別自分の方から話しかけることはしません。
具体的な質問をされれば具体的に答えます。
でも、「どうすれば古文の偏差値が伸びますか?」なんて曖昧な質問をされたら、
「わからん」と答えていました。
「わからないなんて、それでも教師か!」とツッコまれたら
ニヤッと笑って教室を去ります。
そんなコミュニケーションも月に1回あるかないかで、
随分、淡白な担任だったと思います。

夏休みの後半、神妙な面持ちで
彼から「先生、お時間ありますか?」という相談がありました。

進路の話でした。
A大学とB大学で迷っている。
自分の今の成績と照らし合わせたときに、
このまま第一志望のA大学を目指していいものなのか?
先生のご意見を聞かせてください、という内容でした。

そのときは、ひとしきりYくんの方から彼自身の話をしてくれました。
二人の兄が私立の大学に通っているから、自分は国公立に行きたい。
親に迷惑かけたくない、というプレッシャーがある。
でも、正直、落ちたらどうしようという不安が消えない。
考えれば考えるほど勉強に集中できなくなって、
いてもたってもいられなくなって相談に来た。
先生はどう思うか?

彼の不安や恐怖は痛いほどよくわかりました。

以前の僕なら、この場面で、
自分の引き出しのすべてを開けて、
彼に、自分の経験を含めて、万感の思いを話しただろうと思います。
あるいは他の先生方や知り合いに相談して、
Yくんの保護者にも電話をして、
彼のために何がベストなのかを、
それこそ何時間もかけて考えていたと思います。

でも、僕は、そんな気持ちをぐっと抑えて、
体を真正面に向けて、一言、
「君が思うことを尊重するし、君が考えることがすべてだよ。自分の意見はそれだけだ」
と伝えました。

文字通り、それだけ言って、相談の時間は終わりました。

数日後、彼は私立のB大学を希望すると言いました。
僕はそれを尊重しました。

それから、卒業式まではあまり思い出になるような会話がありません。
自分から働きかけることはなかったし、彼の方から相談に来ることもなくなりました。

そして卒業式を迎えます。
B大学に合格したY君は、涙を流しながら、挨拶に来てくれました。

「先生には感謝しています。ケンカっぱやい自分に余計な説教を一切せず、諭してくれました。何も干渉しないのが嬉しかった。そして、なにより嬉しかったのは夏休みに進路の相談をしたときです。自分は意志が弱く、進路変更することにすごく迷いがあった。9月の時点で、第一志望をやめるのは意気地がなさすぎて、親にも打ち明けられず、ずっと悶々としてた。逃げなんじゃないかという葛藤で、夜も眠れずにいた。でも、あのとき先生が背中を押してくれたことで勇気が出ました。本当にありがとうございます!」

自分は、そんなに泣くなよ、と大笑いして、彼の卒業を喜びました。

彼は、その後、第一志望の企業に就職し、
夢だった宇宙ロケットの研究開発に携わっています。

今もちょくちょく連絡を取り合う仲です。

すごいのは彼です。

僕は彼のそばにいて、内心応援するだけ。
あとは、ただただ、喧嘩っ早いな、ユーモアあるな、相談来たな、葛藤することもあるんだ、B大学を志望するんだ、がんばれよ、すごいな、ありがとう。
そんなことを思っていました。
思うことだけはしていたのかもしれません。
でも強調したいのは、彼に対して自分の時間はほとんど費やしていません。
物理的には何もしていないです。本当に。

自己犠牲的な働き方で心身をすり減らす人にとって
「何もしない」教育なんてありえないかもしれません。
学校全体、社会全体で「何もしないなんてそれは教育じゃない」と
非難するかもしれません。

でも、「何もしない」教育(働き方)は可能です。
「何もしない」ことには、価値があります。

というのも、以前の僕は、滅私奉公でまさにアンパンマン。
自分の頭をちぎって、自分の能力や時間・お金を
生徒のために注ぎ込むタイプだったから。

次回のコラムでは、僕が、与えすぎて報われず燃え尽きたお話をさせていただきます。
最後まで、お読みいただきありがとうございました。


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