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高校国語教師による「ウソ」のススメ

唐突ですが、僕は生徒の前で
小さな、しょーもないウソをつくことが大好きです(苦笑)。

枝瀬「今日、抜き打ち小テストやるよ!」
生徒「えーー!!」
枝瀬「うっそ〜」
生徒「・・・は?(呆れ顔)」

・・・
こんな調子で、
どうして、
そんなウソをつくのだ?
そのウソ、必要ある??
というくらい、
どうしようもない
ウソをつきまくって、
生徒に「ウソつき」呼ばわりされることを
喜びにしているのですが、
これ、
国語教師としての
(ちっぽけな)矜持でもあります。

言葉は「ウソ」をつくことができる。

これって言葉のもつすごい力だと思いませんか?

わたくし枝瀬は、宇宙飛行士です。
    枝瀬は、女性です。
    枝瀬は、アメリカ人です。
    枝瀬は、子どもが10人います。

どれも、もちろん「ウソ」なのですが、
これができるのは、
人間が言葉を駆使できるからで、
動物には「ウソ」がつけないのです。
「ウソ」は人間のみに許された営み!!

この「ウソがつける」という
言葉の魅力を
僕は国語教師としてもっともっと
PR活動したいと考えていますが、
みなさんはどう思いますか?

どちらかというと、
「ウソつき」ってネガティブな印象があります。
ビジネスにおいて「ウソつき」は
致命的にアウトですもんね。
学校教育でも普通「ウソ」は推奨されないはず。

もちろん、人を傷つけたり、人を裏切るような
「ウソ」は僕も好きではありません。
自分の心に「ウソ」をついて、
ごまかしたり、目を背けたりすることは、
めぐりめぐって、
自分やその周りの人たちの心を傷つける恐れがあります。

でも、もっと我々が
「ウソ」を肯定し、
ポジティブに、積極的に
「ウソ」を利用していったら、
もっともっと自分の「現実」が
豊かになっていく気がするのですよね。

「ウソ」の定義を、ここでは
「事実でないもの」「非リアル」だとします。

私たちは、言葉によって、たやすく「非リアル」を表現できます。
そして、さらにスゴいのは「事実でないもの」を
なんとなくイメージできてしまうんですね。

「指切りゲンマン、ウソついたら、針千本飲ーます、指切った!」

この文句も考えてみたら大ウソ(苦笑)
約束を破っても、針千本、本気で飲ませるわけではない。
でも、私たちは、幼い子供でさえ、
「針千本飲む」ことを、なんとなく想像できてしまうのです。

「非リアル」=「ウソ」を想像できてしまう。

これは人間のもつ、特権的なスゴ味です。

考えてみれば、
理想、夢、目標、予定、未来、
これらはどれも、今この瞬間の事実ではありません。「ウソ」です。

言葉をもたない動物は
すべて、今この瞬間の生を全うするのみですが、
人間だけは、今この瞬間を飛び越えて、
事実でないこと=「ウソ」を
表現し、想像することができます。

そして、
たとえ、現在「非リアル」であっても、
それを認め、
それを楽しみ、
そうなるよう、
イマジネーションを豊かにさせ、
具体的に鮮明に、
まるで事実であるかのように
表現し切ることができると、
その「ウソ」は「ウソ」でなくなる。

「ウソ」が「マコト」になるのです。

たとえば、昔の人にとって
人間が月面着陸するだなんて
荒唐無稽な「ウソだあ~」で
しかなかったはずですが、
現代の人間は、
それを「マコト」にしてしまっている!

「ウソ」は想像力の源泉、
「ウソ」は目標達成の原動力。

そんな風に捉え直すと、
「ウソ」ってすごくポジティブになりうるのではないか。
前々から、そんなことを考えて生徒たちに力説していました。
当然、生徒のリアクションは「ウソくさいなあ」ですが…。

事実でないものを楽しみ、
非リアルを肯定する。
そして、「ウソ」みたいな話を実現する。

そんな人間らしさを発揮すべく、
今日から「ウソ」をつきませんか?

「ウソ」のすすめでした。

最後までお読みいただきありがとうございます。
この文章が、少しでもあなたの役に立てたら
嬉しいです。
この気持ちは「ウソ」ではありません。

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