26での頸椎損傷「事実は小説よりも奇なり」❻
こんばんは。
今日本屋に行くと1冊の本に目が止まりました。
「バビロン大富豪の教え」という本です。
これは漫画形式になっていて、元は1926年にアメリカで出版されたものを翻訳、脚本、漫画化されたものでお金を増やし、お金に縛られず、充実した人生を送る「人類不変の知恵」であるからこそ約100年もの間世界中で読み継がれているというものでした。
まだ読み始めたばかりなのでオススメできるとはまだ言えないですが入りやすい漫画ではありました!怪我してこれから何があるかわからないと身に染みているのでこういう知識も少しずつ身につけたいなーと少し思ってます。知識だけは誰にも奪えませんもんね!笑
さて昨日の続きです。
では、お手洗いの話です。実はまだ触れていませんでしたが、怪我して病院に運ばれてすぐ陰部に太いカテーテルをねじ込まれ、膀胱から管を通して外の尿を溜める専用袋に尿が溜まるように処置されました。
これが痛いのなんの。男性なら想像しただけでイーーってなると思います。笑
この専用の袋に尿がいっぱい溜まると看護師が中身を捨ててくれるという形になっていました。
これをつけていると尿意は一切ありません。
しかし、便意は普通にありますがまだこの時は自分で出す力はありませんでした。
排便の方法は看護師が肛門に指を突っ込んでかき出す形になるのですがこれも羞恥心プラスもちろん痛みもあります。未知の世界を見た気分でした。笑
ただ外から見える手足が動かないということだけではなく、見えない部分にも苦労の多い怪我なのです。
むしろそっちの方が精神的にはキツイです。
カテーテルは半月ほどで外れたのですが、その時は尿意がきたらおむつにして取り替えてもらうという形でした。あの頃は本当に情けない気持ちでいっぱいでしたね。
オシモの話はとりあえずここら辺にしときます。笑
お手洗いの話の後で申し訳ないのですが、
病院食についてはとにかくおいしいものが1つもないし、味が薄かったです。特に自分で食べられないのも相まって美味しくなく感じていたのだと思います。唯一の楽しみは親がたまに買ってきてくれるコンビニのおにぎりでした。今まで食べたコンビニのおにぎりでぶっちぎりに美味しかったです。笑
その後リハビリの成果もあってか少しずつ腕の力もちょっと戻ってきて半月ほどで自分で車椅子を漕ぐことができるようになっていました。
もちろんまだ自分で車椅子に乗り移ることは出来ませんでしたが。
リハビリ内容も徐々にステップアップし、平行棒の中で腕で支え、リハビリスタッフに持ち上げてもらって自分で立つ姿勢をキープする練習が始まりました。ただ立っとくだけの話なのですがこれが本当に本当にキツイ。支えられながらでも出来て30秒ほど。ショックだったな〜。
あ、あと思い出したのですが怪我して2週間ほどはどんなに暑くても一切身体から汗が出ませんでした。これも後遺症の1つだそうです。しかし、ある日を境に幸運なことに私は汗を急にかくようになりました。身体って複雑で不思議なものです。
この頃はまだ力もないし指が動かないのでテレビのリモコンを1秒くらいしか持てず、1回チャンネルを変えたり、電源を切ったりするのに15分くらいかかっていました。悔しすぎてずっと泣きながらチャレンジしてたのをよく覚えています。
あと半月ほどで別の専門病院へ2度目の転院が決まっていたので、それまでに担当のリハビリスタッフに少しでも回復した姿を見せたいととにかく必死でした。
頑張ろう!という気持ちと何をやっているんだろう。という虚しさでメンタルはぐちゃぐちゃでした。
転院までの話はまた次回にしたいと思います。
ここまでまだ怪我して半月ほどと考えると本当に長かったな〜と思いますね。
あー何かこれからその分良いことないかなー。笑
なんか思い出しながら構成考えずに書いているので文章めちゃくちゃですね。笑 すみません。
貴重なお時間を割き、最後まで読んで頂きありがとうございました。
んじゃまた明日🌸🍀
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