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イモリの死

釣りが趣味だった祖父に連れられて、どこかの山奥にある渓流へヤマメだったかイワナだったかを釣りに行ったときに、浅瀬のなかで朱色のものを見かけて、子どもらしい好奇心から手づかみにしたら、図鑑の絵でしか見たことのなかったイモリだった。木々の色を映して黒くぬめった流れのなかの、苔でぬるぬるした石にしがみついていた、すらりと小さな両生類はとても可憐で、私は一目で夢中になった。イモリっていう生き物がいることは知っていたけれど、こんなに愛らしいとは思っていなかった。祖父の家で見慣れていたヤモリよりも色合いが華やかだった。見つめ返してくる瞳がいかにも賢そうだった。なにより、私は水棲生物が好きだった。陸上生物として、水中世界にエキゾチシズムのようなものを感じていたような気もする。

イモリの背は黒いのに、どうして朱い腹が目に留まったのかといえば、たぶん川底でイモリ同士の喧嘩が繰り広げられていたからだと思う。石をひっくり返すとたくさん見つかった。それを明るい緑色のプラスチックでできた、透明な除き窓がある網目状の蓋のついた、虫取り籠にも水槽にもなるありふれた飼育ケースに何匹か捕まえて、祖父に見せた。祖父が嬉しそうに「飼うなら2匹まで」と言ってくれたので、そうか飼えるんだと喜んで、言いつけられた通りに2匹を選んだ。

今なら気の毒な2匹を選ぶ前に「エサはどうするの?」くらいの相談はできるけれど、まだ幼かった私はそこまで考えていなかった。幸い、祖父は縁日の金魚を小さな鯉くらいの大きさまで育てたり、やっぱり縁日のミシシッピアカミミガメをまな板くらいの大きさにまで育てたりする、生粋の生きもの好きだったから、私の捕まえたイモリたちのエサに、まるで当たり前のことみたいに釣り用の生餌を用意してくれた。深山の渓流ほどきれいではないけれど、家の裏にはオタマジャクシやよくわからない生きものがたくさん棲んでいる用水路があったから、水にも困らなかった。私は金魚用の砂利で水槽に陸地を作ってあげて、水草を入れて、新しい家族になったイモリたちが心地よく過ごせるように環境を整えて、金魚や亀のいる玄関先に飼育ケースを置いて、おやすみなさいと電気を消して早寝した。ちょっかいをかけ過ぎるとイモリたちの身体によくないと知っていたから、ただ飼育ケースからちょっと離れたところに座って、ぺたぺた歩き回る元気いっぱいな姿を眺めながら歯を磨いて、本当にかわいいなって頬を緩めて、嬉しい気持ちにで電気を消した。

翌朝、イモリの一匹が飼育ケースの外に転がって、乾いて死んでいた。もう一匹は姿もなかった。私は心の底から後悔して、祖父の花壇にお墓を作ってしわしわの両生類を葬った。祖父は「蓋を開けちゃったんか」と言って、私を責めなかった。それは祖父がイモリたちの死を軽く扱ったからというわけではなくて、孫娘が生き物を殺してしまった感触に慄いていたせいだった。生き物の死に責任を感じたのは初めてのことだった。ひどいことをしてしまったと、風の涼しかった祖父の家を思い出させるような晩には後悔に駆られる。熱帯夜が増えて、あのイモリたちのことを思い出せなくなったりしないように、ここに書いておく。

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