「ありがとう」が欲しかったから、必要がないことまでやってみた。
想像してみてほしいんです。
もし近くに住む農家のおじさんが、いっぱいのきゅうりをもって
「ほら、これ食べて!いいからいいから。」
そんなふうにきゅうりをくれたら、どんな気持ちになるでしょうか。
もし農家のおじさんが、
「きゅうりが出来たんだけど、自分の家じゃ食べきれなくて。腐っていくのをみるのも悲しいから、食べてやってくれないか。」
そんなふうにきゅうりをくれたら、どんな気持ちになるでしょうか。
もし農家のおじさんが、
「きゅうりが出来たんだけど、自分の家じゃ食べきれなくて。腐っていくのを見るのも悲しいから、食べてやってくれないか。
それにな、この味噌つけると本当においしいんだ!」
そんなふうにきゅうりと味噌をくれたら、どんな気持ちになるでしょうか。
1つ目だったらきっと、戸惑いや不安をいっぱいに感じて、なにか返さなきゃいけない責任感にさいなまれそうな気がします。
2つ目だったらきっと、有難みと食べきることの責任を感じそうな気がします。
3つ目だったらきっと、有難みと食べきることの責任と純粋なうれしさとお返ししたい気持ちが生まれそうな気がします。
1つ目は、必要なことを満たしていない状態で。
2つ目は、必要なことだけを満たしている状態。
3つ目は、必要なことを満たしているのと、必要じゃないけど意味のあることを満たしている状態。
うまく言語化ができないのですが、きっと誰かに純粋に喜んでもらいたかったら、必要なことを満たすのはもちろん、必要じゃないけど意味のあることまで届けたほうがよくって。
ロジックで説明できることはもう、純粋に感動ができないような気がするんです。
たぶん。きっと。
大切なひとの誕生日にケーキを買っていったってそこまで喜んでもらえません。だって、誕生日にケーキは必要なものだから。
だから、ケーキといっしょに花を一輪プレゼントしてみました。
祝われるほうは、直接プレゼントされたら喜ばなければなりません。
だから、直接プレゼントをしたうえで、一緒にいないときにメッセージが届くようにしてみました。
なんでも理由が追及されるこの時代には、こんなふうにしたら自分の表現が相手に届くのかなぁなんて。
とっても大事なことが、わかったような、わからないような、そんなこの日この頃です。
2021年4月18日
しっぱいノート219日目
えだちゃん。
#やさしさ #信頼 #うれしい #表現
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