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カウンセラーは本業。でも、他の仕事もする生き方とは

「茜さんは、カウンセラーが本業ですか?」

と聞かれたことがあります。

私は「カウンセラーが本業でもありますが、他のお仕事もしています」と答えています。

ときどきお話しするのでみなさんもご存知かもしれませんが、私はクリエイターや農業の仕事もしています。


zipに出たよ
妄想移住ランキングに出たよ
カフェのチョークアートも書いてるよ

具体的には、「コピーライター/デザイナー/4コマ漫画家/チョークアーティスト/フォトグラファー/農家の嫁」といった感じ。

割合的には、5年前はクリエイター業9割でしたが、今は逆転して現在カウンセラー業が7割です。そして、7割以上にはしないつもりでいます。

つまり、あえてカウンセラー以外の仕事をしています。

以前こんな質問もいただいていたので、まずは私の働き方から、生き方を考えるお話しをしたいと思います。

※注意
まったく自分の経歴を自慢するつもりもないし、自分では黒歴史ばかりの人生だと思っています。しかし、人によってはあまりいい思いをしないかもしれませんので、「今は克服者の成功体験は聞きたくない」と思うのであれば、ここから先は読まないほうが今はいいかもしれません!



過食嘔吐回避のために始めた趣味が、10年後に仕事になった

まずは、なぜ私がこのような働き方になったのかを説明しますね。

しかし、これをお話しするには、15年くらい時を遡らないといけません。話が長くなることを承知の上聞いてくださいね(笑)

16歳:拒食症
17歳:ひきこもり
18歳:バイト・チョークアートに出会う
19歳:浪人
20歳:大学に入学し、心理学専攻
24歳:求人広告会社の広告制作部に入社(コピーライター/デザイナー)
26歳:退職・いちご農家と結婚・起業⇨この時点で症状ゼロ

自分のスキルを活かしてフリーランスに(その後、株式登記)

・フリーライター
・自治体の求人サイトの編集長
・デザイナー
・チョークアート看板の制作
・フォトグラファー
・いちご農園の広報係として、webサイト制作を学ぶ


27歳:カウンセラー業を開始
妊娠を機にもう一度生きる意味を問い直す
「摂食障害の方のために、自分の経験を話していきたい」と思うように
現在、32歳です。

私は16歳で拒食症になりました。そして、入退院を繰り返し留年し、高校を中退しました。

そして、家に引きこもって過食嘔吐を1日4回する生活が1年続きました。夢も希望もない、同居している家族に迷惑をかけるだけなら、本当に生きている意味ってあるのか?と、毎日死にたくなる生活でした。

しかし、体重は標準体重以上あったので、体力はありました。
だから、とりあえずバイトに応募しまくってパン屋で働くことに。

そこでチョークアートに出会い、「過食嘔吐」から目を逸らすために、教室に通い、必死に勉強しました。チョークアートは楽しかったけど、過食欲求とも戦いながらだったので、苦行でした。

初めここで、チョークアートのフリーランスになることを決めますが、まず18〜19歳だったので仕事にするにはちょっと勇気が出ませんでした。何より、高校中退と共にすべての交友関係を経ってしまったことにより友達がゼロの状態だったので、お客さんになる知り合いがいませんでした。(当時はSNSがほぼ浸透してなく、オンラインで営業をかけていくことが難しい時代でした)

で、知り合いがいないことがコンプレックスだったので、友達を作るために大学に2年遅れで受験します。

カウンセラーになるつもりはなかった大学時代

私が大学に入った目的は「中卒という学歴をぬりかえるため」だったので、大学を卒業することと、友達を作ることだけが目的でした(笑)

私は心理学部の他に、芸術系の学部も受験していて、どちらも受かりました。この二つを受験した理由は、「興味があったから」でした。

でも、これが私にとっては一番大切だったと思います。というのも、私の課題は、ひきこもり生活から大学に通うことだったので、せめて大学は「興味があって、心の負担にならないこと」が重要でした。

心理学部を専攻した理由は、「自分のことを知れるきっかけになるかな」と、単純にノリでした(笑)

心理学はとても面白く、実験とかアンケートは大変でしたが、非常に充実した4年間を送りました。そして、念願の一生の友人がわんさかできました。今の旦那とも、大学時代に出会いました。

求人広告のコピーライター・デザイナー

私の就職先は、大手の求人広告会社でした。
その中の「広告制作部」というクリエイティブに特化した部署に配属になり、そこで1年目はコピーライターとして、2年目はデザイナーとして働きました。

コピーライターといえど、ずっともくもくと文章を書いているわけではなく、「取材・撮影・執筆」の3セットで仕事をしました。

だから、私は取材スキルと、撮影スキル、ライティングスキル、それに加えて2年目からはデザインのスキルを習得することができました。

実はこれが今のカウンセラー業に生きていて。

取材は対象者の心のうちを話してもらうことが目的なので、質問と傾聴が基本です。カウンセリングにもこの経験は生きています。

また、ライティングとデザインは運営に役立っています。自分で言うのもなんですが、記事を書くスピードは早いと思います(笑)

独立・クリエイターへ

私の夫は、東京の親元を離れて、単身宮崎に移住し、いちご農家を始めました。いわゆる「新規就農」ってやつです。

その夫に結婚する前から「農業の傍ら、フリーランスになれ!」と言われていたので、結婚と同時にフリーランス生活が始まりました。

それがなかなか大変で。
しかも、結婚した時に家賃、光熱費が3ヶ月未払いなくらい、旦那はお金がない人だったので、自分で稼ぐ必要がありました。

私はOL時代に稼いだ貯金がありましたが、「稼がなければ生きていけない」というプレッシャーがやばかったです。農業は軌道に乗るまでものすごく時間とお金がかかるので、この夫が成功するであろう10年先までは一生頼れない、と思いました(笑)でも、ご想像の通り、夫は破天荒な人なので、修羅場も多く、色々と楽しい経験をさせてもらってます。

九州圏内では、カウンセラーやクリエイターよりも、「農家」のあかねさんですね(笑)

フリーランスになった直後は、すぐにお金になるスキルを使って仕事を作りました。

ライター
デザイナー
チョークアーティスト
求人サイトの編集長
いちごがり農園のフォトグラファー
4コマ漫画家(旦那の愚痴を聞いてほしくて4コマを描いていたら、プチバズりして連載を持つことに。週1で更新、5年続きました)

などなど。もうフルで働きまくりましたが、自分の意志でやりたいことをやっていたので、症状がぶり返すことはなかったです。

ただ、ちょっと働き過ぎている感覚もずっとありました。
つい最近、求人サイトの編集長と4コマ漫画の連載を今年いっぱいで終わることを決めました。それぞれ立ち上げから関わり、5年、6年続いたものだったので、愛着はありましたが、サービスも自分も次のステージに行くためにやめることにしました。

チョークアート
JR九州の記念切符デザイン

カウンセラー業

カウンセラーを始めたのは、5年前です。
その頃ちょうど妊娠し、働き方や生き方を見直しました。

そのとき、私のメンターでもある夫が「あかねちゃんにはもっと輝ける場所があるよ」「あんたの人生は面白いから、もっと表で語ったほうがいいよ」「カウンセラーがあってるんじゃないの?」って言われて。そんなんで仕事になるわけないと思いましたが、まずは自分の経験をブログに書き始めました。その頃はブログで稼ぐ「アフェリエイト」というものが流行っていて、私も広告記事を書くことでお金を稼ぐことも考えたのですが、しばらくやってお金の稼ぎ方もわかったけど、自分のやりたいことではないのでやめました。

そこから、本気でカウンセラーとして仕事をすると決めて、とにかく勉強と経験をつみました。初めはお試しカウンセリングで1時間1000円とかでやっていましたね。

そして、今年で7年目。のべ800人くらいと対話を重ね、克服まで導けるクライアントさんもふえてきました。

今年はYouTubeや書籍にも挑戦し、それができたのはライターとクリエイターの経験があったからだとも思うので、点と点が線になってきた感覚があります。

私の経験が、誰かのためになるんだ
私がYouTubeを発信することで、救われる人がいるんだ
私の本をお守りに、生きている人がいるんだ
私がカウンセリングスキルをアップすることで、克服する人が増えるんだ

と、一つ一つを実感し、私を信じてくれることへ感謝の気持ちでいっぱいです。

それと同時に、私も努力を重ねなければ、と思う日々です。

なぜクリエイターの仕事をやめないのか

では本題です。
なぜ私はクリエイターの仕事を辞めないのか。

それには2つの理由があります。
まず一つは「摂食障害をアイデンティティにしたくない」ということ。

二つ目は、克服後の「生き方」は多様だよということを、自分の経験をもって話したいからです。

摂食障害をアイデンティティにしない

摂食障害専門のカウンセラーとして生きるということは、摂食障害に向き合って生きることになります。

つまり、摂食障害の症状はゼロだけれども、摂食障害にまつわることについて四六時中考えながら生きることになります。

そういう生き方もありだし、カウンセラー業をうまくバランスとりながら働かれている方もたくさんいます。しかし、私はバランスを取る自信がなかったんですよね。それをすると「摂食障害というものに、自分の存在価値を置きそうになるな」という危機感がありました。だから、カウンセリングの勉強を死ぬほどしているしプロだと自負しているけど、精神的に依存しないために、物理的に時間を分散させることにしました。

克服後の生き方は多様だと、経験を持って話したい

これが1番の理由だったりします。

「摂食障害になったら、その経験を活かして生きていきたい」と思うのが自然なことだと思います。
そこから、私のようにカウンセラーを目指すことは非常に有意義だと思うし、現に必要な仕事だと思っているので、社会的にもいいことだと思います。

でも、摂食障害になったのは「生き方に悩んだから」発症したわけであって、みんな初めからカウンセラーに興味があったわけではないと思うんですよね。だから、私のように「クリエイターとして生きていきたい」みたいな、内なる願いがあったりするものです。

だから、私はそれぞれが本当にやりたいことを、もっと楽に、自分に合った働き方で生きていけるように、私も選択肢を与えられる人になりたいなと。だから、私ももっと広い世界を見るために、さまざまなことに挑戦して、経験をつんでいきたいと思っています。あとは、単純にクリエイターが好きだからつづけています。余談ですが、昨年は動画制作のオンラインスクールに通い、動画制作って摂食障害さんに向いているんじゃない?と思ったりもしました。

よく私が「健康的な依存先を多く持ちましょう」と言っているのにも通じますが、凝り性の私はいくつかの仕事をもっているほうが心が安定するので、そういう生き方を選んでます。

そう思うと、間違いなく摂食障害の経験があったからこそ、今の生き方ができていると思います。摂食障害にならなくていいなら経験したくなかったけど、あの頃の学業第一、完璧主義な私には、必要な経験だったとも思います。

私の経歴から見てもらってもわかると思うけど、今目の前の興味あることを夢中でやっていたら、それを途中でやめても、10年後にそれが仕事になることってあります。10年会えなかった友人と、再び再会することもあります。人生全てがいつか点と点が線となり、面となっていきます。

だから、今を有意義に過ごせていないと思って落ち込む必要はありません。すべてがつながっています。いつか花が咲く日が来ます。

だから、みんなも「今、直感で好きなこと」を大切に生きてほしいな〜って思っています。

■毎週金19:00〜YouTube

摂食障害オンライン相談室公式HP

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