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記憶を次の世代に
あっと言う間の29年。されど29年。名文句のようなセリフの片鱗だが、阪神・淡路大震災から、今年になって29年が経過している。毎年、神戸の東遊園地で「追悼のつどい」が開催されているが、この時期(1月)の明朝5時頃はかなり寒いのである。神戸は盆地でもあり、六甲山卸しが降り立って来るので、冬季は乾燥した冷気が身にしみるのである。

私も16年目に「つどい」に参加して位牌の名簿を見ていないとは、このコラムでも書かせてもらっていますが、もう約10年以上が経過した事になる。風化させてはダメだと思いながらも、毎年の報道も少なくなって来ているのだが、今年は能登半島地震のおかげとは言って失礼にあたるが、神戸の災害報道に注目があがっている。

毎回、シンボルとなる「言葉」に灯籠を設置するのだが、今年は「ともに」という言葉だった。これは、能登半島地震の被災者に寄り添った気持ちの現れである。神戸市からも災害救助隊の大隊は、震災直後から恩返しの意味合いも背負って、現地に駆けつけている。

出身者にしかわからないと思うが、当時の神戸は港町(今でもそうだが)であり多国籍の人々が暮らしている街でもあった。中でも韓国・朝鮮国の人々が多く、専用の学校や部落も多くあった。当然ながら、幼少期から含めて小競り合いというか、大人も子供もコミュニティと言える関係性はひどかったものだ。しかしながら、被災者達の多くは国境を越え、人種を越え、お互いが励まし合い、少ない救援物資を分け与え、協力しながら復興を成し遂げているのである。買物でも、銭湯でも、学校のクラスメートも居たけど、仲は良かったんよ。毎日、バカやって遊んでいたし、男の子も女の子も一緒だった。絶対、おいらの家より貧乏だったはずだけど、いつも良くしてくれた。助け合ってたもんな。。。

今日の普段というか日常においては、連日のように北朝鮮からミサイルが発射されるなど、何かと緊急アラームも「また、北朝鮮からのミサイルか!」などと定番になっている。実は、北朝鮮は、阪神・淡路大震災の時も、東日本大震災の時も、そして今回の能登半島地震の時も、いち早く赤十字を通じて、財政が大変苦しいにも関わらず慰問金として支援し、岸田総理にはお見舞いの電報を入れているのである。災害・被災時への人々の暮らしがいかに大変かを知る関心の高さであろう。

毎年、増上寺の「正五九黒本尊祈願会」へ出掛けている。年三回(1月15日、5月15日、9月15日)行われるのだが、ここでは詳細は控え、HPなどで調べてもらいたい。ちょうど昼頃になってしまったので、どこかで昼食と思い飲食店を探していたのだが、まぁ最寄りはJR線の浜松町駅なのでサラリーマンでごった返しの満員御礼で、大半の食堂というところは並んでいたのである。時間もかかるだろうから、コンビニへと。。。。そこで気付いたのだが、大半の人達は(特に女性)「おにぎり」を購入しているのである。???小食かなと思いきや、おにぎりと言っても値段を見ると結構なお高いもので、具もおにぎりには似つかわしいモノばかりである。しかも、温めますか?と店員の声が聞こえた。。。2つ3つ買って飲み物なども一緒に購入すると、飲食店と同等もしくはそれ以上の値段になるのである。

「おにぎり」と言えば、家(内)で作って、外で食べる物であったと記憶しているが、最近のおにぎりの定義は、外で買って内(会社や家)で食べるモノに変わっているのである。しかも、おにぎり専門店ができるくらいの人気で、FC業も盛んで、連日賑わっているそうだ。NHKの「あさイチ」では、家事代行サービスがとても人気で、便利な利用方法等、活用手段など特集が組まれていた。中には翌日の引っ越しの荷物詰め込み作業もあった。しかも依頼者の奥様は顔を出して自慢をしていた。。。

それで、賃金が上がらない!などと、ほざいている若い人達は、被災した人達への関心度も低いだろう。「便利」の対義語は「不便」である。不便だからこそ、努力するのである。早く起床してご飯を炊くことはできないのだろうか。掃除が苦手や面倒くさいと言っているが、病気になって病院にかかるとお金はかかるものだろうし。昔と違って共働き家庭が多く、奥様もご主人様も育休などワークライフバランスが充実している社会だ。家事はもはや女性だけに強いられるのではなく、男性も手助けというか率先して取り組まなければ義務である。そして、働き方改革の究極である労働時間の制限が始まる。つまり、余り働いてはいけないのである。家族間のコミュニケーションを大事にして欲しいそうです。子供は自然に生まれない。時間にも余裕が持てるはずだ。掃除も料理もできる時間はある。スマホは歩行中も一日中、片時も離さないでいるが、大半の閲覧は「ゲーム」と買い物情報ばかりだ。

高齢者と言われる人達の若いころは、今よりも収入が圧倒的に少なく、寒暖からは身を守れず、子供もたくさん居たけど、重労働である家事労働からは逃げずに、みんな病院知らずの健康だった。そしていつも、ひもじい思いをしていた。それでも、なぜか、いつも笑顔がステキな生き方をしていた。文句の1つも言わず「粋」な生き方をしていたのである。

私は毎朝5時前には起床して家事を頑張っている。お金も無いから、昼食はお弁当で、お弁当が要らない時でも「おにぎり」と昨日のオカズの残りを用意している。極力レンチンをしないで料理を作っているが、息子には申し訳ないくらいに、毎週日替わりの一辺倒で決して美味しいとは言えない。掃除も行き届いてないだろう。私は世帯主だから、仕事は重要な生活費の収入源である。当然ながら、毎日がヘトヘトで色々なやり繰りをするが(相当な下手くそだと思うが、、、)、親はひもじい思いをしても大丈夫だが、子供には、お腹いっぱい食べさせて健康でいてもらいたい。だから頑張れるのである。親とはそういうものだ。生活とはそういうものだ。「生きていくのは決して便利では無い」のである。日本の介護保険も、生活保護も他国に比べれば、相当に高い水準であり、治安もずば抜けて高い。人(他人は行政)のせいにする余裕は無い父子家庭である。それが我が家だ。

家で炊いたご飯は、添加物も無く美味しいと思います。我が家では梅干しよりも、昆布が人気です。家で作るお弁当は格別で、どこか懐かしく美味しいのだ。でも、恵方巻は子供に「とんかつ」に選ばれてしまった、、、?食べ盛りの男の子だもんなぁ、肉を食べたいサインなのだろう。。。