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働きがいとは。。。最近良く出てくるワードだ。貪欲に給与や報酬とは言いづらいのか、その割には賃上げと名称が変わり、世論を騒がしている。もちろん原因はともかく、急激な物価高やインフレ等に見合うくらいの収入になってもらいたいが、死に物狂いで一生懸命に働かなくても、収入だけを望んでも仕方がないだろうに。世の中には学校給食だけが命の頼りで、食べ物を満足に食べれない食べ盛りの思春期の子供達も多くいる。更に母子家庭ともなると、収入も信用も安定しない場合が多く、お腹が空き過ぎて行動がままならない、浄水器が付いていない蛇口の水だけで空腹を満たす家族もいる。中高生では進学なんて選択もできない、かと言って学歴重視の世の中は相変わらずで、就職するにしてもまともな会社を選択する予知もない。母子家庭も本当に大変だろうが、事情は異なるにせよ父子家庭も大変です。片親だからというだけで、親も子供も世間の目が違います。。。

国は国内よりも国外への予算要求に必死のようだ。昔の政治家は、地元の有権者や弱者に対して口利きを活かして来た。言い換えれば、地元住民には手厚い優遇措置を図る便益のためにお金を使っていた。今の政治家は税金を自分の収入と勘違いしている。街灯も付かないし、道路は公共事業を優先的に縮小しているので、陥没状態でデコボコだ。待機児童には見向きもしない。お金の使い道と働きがいとを勘違いしているようだと思うのは、私だけだろうか。

いくら稼ぐよりも、働きがいを選ぶとどうなるか。
きれいごとではない。収入が減るとなると、色んなところに制限があるし、何よりも「不安」との戦いである。目の前のお金よりも自分の価値観に従うことは、小説の中や映画ではカッコイイことかも知れないが、現実は大変どころか背に腹は代えられない事だからだ。老後破産が問題になっているけど、誰もが通る道でもある。健康問題でも若い時と比較しても、圧倒的に高齢に伴いケガや病気が多くなるはずであり診療通いといっても、お金はかかるのである。ローンの有無に関わらず一戸建てを持っていたとしても、資産になるのは、せいぜい土地だけであって上物の建物については、どんなにリノベーションを行ったとしても、メンテナンスを行ったとしても、現在の評価では築年数でしか評価の対象としかならない。つまり、25年以上経過した時点で評価は「0」(ゼロ)である。もちろん、建物は経年劣化に伴い、それぞれに多額のメンテナンス費用を要するのである。お金がかかるのである。

世の中はお金で回っている、お金が無いと生きていけない。若いうちにガムシャラ働いて老後にゆっくりする時間はない。安泰ではないのである。むしろ老後ほど節約に徹し、体が老いても、栄養不足になろうが、働き続けていないと破滅するだけだ。そのためには最低限でも、いや、むしろ若いうちからお金にもっと執着しておくべきだろう。働きがいだけでは、生きていけないからです。年功序列制度が大半の企業で廃止(そのような評価)になり、たとえ定年(定年も定めていない会社が多い)退職といっても積立制度や持ち株制度等が無い限り、退職金などはあり得ない。住宅ローンの残債及び補填に伴う金額などは、期待するどころか支給さえないのである。欧米で終身雇用や年功序列型のビジネス雇用が見直されているとか、なぜ日本は逆行するのだろうか、日本の家芸だったはずなのにである。

また、最近では転職ブームなのか、そのような風潮があるかも知れないが、一時的に必要な数年間だけのスキルが求められるだけで、後は年齢と共に評価が下がることになり、もちろん転職するという事は勤続年数が短いので、退職金などはあてにならないし、金融機関の与信はかなり悪化する。むしろ、後年の収入や信用情報を考慮すると、転職しない方が有利に働くのである。少なくとも20年以上も在籍しているのなら、しがみついてでも転職は避けた方が賢明である。転職を斡旋するサービスは「ビジネス」なのだから、本人の将来まで責任を負うことはしないのである。無責任なサービスに誘惑されないことだ。

現実的に考えて見ると、何かしらの資格を保有していたとしても、デジタルの進化ではAI検索で十分で、似非情報あるかも知れないが、正しい知識を誰しも瞬時に取得することができるので、これからの時代では無理に必要とされないだろう。資格マニアもいるそうだが、時間と労力の無駄で、費用対効果と人生の生産性には反映しない。仮に必要とされていたとしても、高収入に繋がる評価を得られる保証なんてない。継続的に安定感を得る資格なんてのは存在しないのである。資格があっても、それを活かした実績と経験値が必要であり、資格勉強よりも活きた社会勉強の方が時間の生産性は圧倒的に高い。資格というのはライセンスであるということ、ライセンスにも優越があるということを忘れてはならない。

ビジネスマンに「やる気」(モチベーション)を図る調査があり、日本はG8中、最下位で、125ヵ国中、124位とも言われています。長く続いている経済の低迷により業績不振、過労死問題からブラック企業のイメージ、報酬の減少、管理職ポストの削減、コンプライアンス含め、数々の〇〇〇メントのオンパレードなど、色々原因はあるのでしょうが、何よりも「評価制度」が大きな原因の1つと考えられています。

では、正しい「評価制度」というモノサシとは?というと、二分するのでしょうが、ひとつは「報酬」。もう一つは「地位」(ポジション)。どちらも高い方が本人のステータス性もあがるのでしょうが、老いには勝てない。正しいモノサシどころか、ちまたの企業や中小企業に関わらず、「評価制度」らしきものはあると思うが「進捗管理」と混同しているようだ。つまり、言われた事をこなす「Todoリスト」を含め「スケジュール管理」ができている、ノートに書き込んでいるなど「仕事が見える」事で評価を得られているようだ。まさに「進捗管理」のことである。しかしながら、正しい経営視点があるリーダーが見れば、一目瞭然であって「結果」(数字)が伴わない、あるいは「成果」に結びつかない行動は「評価基準」からは外れるのである。進捗管理と業績向上に相互関係は無いのです。

進捗管理では売上はあがらない。進捗管理というのは過大に盛っていることが大半であり、スケージュールもノートも真っ黒になっていれば仕事をやっている事になる。だから「売上」も上がらず「利益」も残せないのである。絵にかいた目標設定は部報のオンパレードで、結果を出せないスタッフだけが責められて、マネジメント出来ない上司の評価は上向きになっているのである。これではスタッフのモチベーションは向上しないだろう。

もっと言い換えれば、採用(雇用)から研修、評価(報酬や地位)、キャリアステップが見える「制度」を、きちんと構築する必要がある。しかしながら、実務・実学を経験していない、にわか知識バリの自称コンサルタントや、それなりのネーミングがあるコンサルタント会社を信用してしまっては、絶対に「成果」とは無縁だろうと思われる。

働き方改革によって失われる「働きがい」を失ってはいけない。頑張ったら頑張った分だけ、社会にも企業にも評価をもらうべきであろう。スピードが大事だが、スピードに限らず一生懸命に頑張っていたら知恵が出るものです。中途半端だから愚痴が出るのです。そしていい加減だと言い訳(ウソ又はアルことナイこと)が出る。武田信玄公の名言である。

働きたいやつに、稼ぎたいやつに、働かなくて良いというのは、筋が通らない理屈である。我々の時代の面接では「いついつまでに〇〇円稼ぎたい!」とか、「結婚資金」や「車購入」など含め、具体的に目標を持っているやつが、即採用され、その通りに成果・結果を出していたのである。面接に来る容姿では、茶髪だろうが、靴を踏んでいようが関係無かった。礼儀作法なんかは、お客様が教えてくれたり、お腹が空いていればお客様に恵んでもらい可愛がられたものである。その分、仕事は何倍も何倍も必死のパッチでこなしていた。

私も転職した際に、アルことナイことウソに固められ、周りの言い訳ばかりで苦労させられた経験があるが、正しい評価制度が存在したとしても、部署や部門のリーダーが正しいマネジメントが出来ないと組織は衰退するばかりだ。彼らは過去の栄光に捕らわれ変化を嫌うので、特にコロナ禍以降のニューノーマル化時代では、本人が学ぶ以外は社会から非難を受けるだろう。。。ダニングクルーガー効果というのをご存じだろうか。私も聞いたことはあったが、実際に出会ったのは始めてではあるものの(もしかしたら意図的におこなっていたかも知れないが)、「仕事」の本質(役割)を良く理解していないと思われる。結果を無視して自分をPR、とにかくPRするのである。部下を無視して自分の評価をPRする。自分の能力はさておいて自分を過大に評価するのである。まぁいいか。

倒産や廃業する会社が後を絶たない。飲食業界では、ここ数年で大幅に増加していると言われている。2024年問題含め、現状の経済状況では、今後ももっと増え続けるとも言われている。いずれも資金不足(物価高による仕入れの高騰、光熱費の高騰、サービスの低下、品質の低下、人材不足(人件費の高騰)、売上の減少など)がダントツではあるが、後継者となる継承問題も多いようだ。会社全体を見れば赤字かも知れないが、なにか強みを活かせるなにかが見つかるかも知れない。例えば一部の部門だけが、黒字の収益構造になっているかも知れない。そんないいところを寄せ集めて再構築ができないだろうか。会社をデザインし直す。つまり会社のリノベーションである。その一部だけを新規で独立企業にするなど。。。やりようはいくらでもある。ぜひ、相談して欲しいと思われる。

今の時代では、会社の規模で判断しない方が良い。中小零細、小規模な会社だとイメージ的に卑下する雰囲気があるが、むしろ小規模な会社ほど、フットワークが軽く柔軟な対応ができるのです。世の中が複雑化し多様な社会だからこそ、新しいアイデア等などがスピーディーに出し入れが可能である。どんなにデジタルが進化しても、顔が見える仕事であればこそ、大きな「共感」を得ることは言うまでもない。そんな働きがいがある仕事だからこそ、報酬や地位に振り回されないで、泥臭いかも知れないが、幸せになる道があるのかも知れないと思う。

仕事への価値観はそれぞれだと思うが、生きる価値観を失ってはダメだ。
お金を持つ権利はなくても、生きる権利は万人にあるはずだ。権利だけの収入では、合法であっても徳が立たない。お金は必要だが、どうやって稼いだかが、働きがいになるかも知れないし、尊敬に値する生き方かも知れないし、次の世代に自慢できることだろうか。


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