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風が吹いたと思ったら、飛び出す気質について

ふと思い立って行動することがよくある。
過去にも急に「明日〇〇という所に、午前中いる予定なので良かったら、来てください。お茶しながらお話でもしましょう」とSNSで告知してみたり(そして、誰かが面白がって来てくださることもあった)、誰かからの「明日〇〇に行くけど、良かったら一緒にいかが?」といったお誘いに乗っかることもある。

きっかけは色々だけれども「あ、今風が吹いた」と感じたら、色々と考えずに飛び出すことにしている。
そういえば、過去に書いた「勝手に運命を感じてみた」話もこの気質が表れている気がする。

先日西洋占星術では、木星が双子座の部屋に入りより風の時代らしい空気感(例えばフットワークの軽さ、情報の早さのようなこと)が社会全体に増していく云々、といった話を聞きながら。

自分の「急に何かをやる」「急なお誘いが結構楽しい」というところは、どこから来たのだ?と振り返ってみた。

わたしが苦手なことのひとつに「計画」がある。
どんな風にその日を過ごすか考えることもあるし「●日はこんなことをしよう!」と前々から考えること、計画らしいことをすることもありはする。
もちろん、中長期に関わる仕事で立てた計画に基づいて行動することもある。

しかし、天気が変わればやる気になれないこともあるし、その日になってみたら他のことがやりたくなっているかもしれない。はたまた急遽別のことをやることになるかもしれない。
だから、なるべくなら計画は立てずに過ごせたらとも思っている。
おそらく、ややその思いは強い。

偶然は素敵な所に連れて行ってくれる説

キャリアの理論の1つに「ブランドハプンスタンス(計画された偶然性)」というのかあり「キャリアの8割は偶然から起こる」とのこと。

この理論を知った時に「たしかに、偶然が良い方向に進むきっかけになったケースは多い」と感じた。
計画を立ててその通りに進めるのも悪くないが、自分のこれまでを振り返っても予想外な「たまたま」から今ここ、に連れてこられていることのほうが多い気がしているし、そのプロセスも今を思えば面白い!と言える。

自分で偶然を感じる場を設定し、偶然予定の無かったところに何かがやってきて、意図していなかった偶然の産物に対するポジティブなイメージから「計画しないメリット」のようなものに依るところは一理ある。

計画や予定がうまくいかず現れるしわしわに怯える

ちなみに、計画や予定を目の敵にしているわけではない。

計画することで、少し先の見通しを考えながら動くことができるから自分でも何かのために計画を立てて行動していることもある。
例えば、手帳にはしっかり書いていなくても「あ。この日(この時間)に、こんな事をしようかな」とうっすら計画、予定することもある。

ただ、時々計画は崩れることがある。
始まる前に取り組み自体が無くなること、取り組みの途中でうまくいかなくなることはよくあることなので、その時は少し残念な気持ちになってもまた次へいけば良い。

とはいえ、何か自分が計画を立てたものの賛同してもらえなくて計画が無くなる時や楽しみにしていた予定が無くなる時。
誰も悪くないし仕方がないけど、楽しみだった気持ちがしわしわになることに悲しくなってしまう。
仕方ないけど、ちょっと割り切れないような気持ちがほんの少し残る。
ほんの少しなのに存在感抜群のしわしわが厄介で、できればこのしわしわに出会わなくて済むようにしたい。

ふと、しわしわ回避の気持ちが強くて、計画や予定をバチバチに決めることを避けているのではないか。
そんな振り返りをしていた。

それも一理ある。

色々考えたけど、結局。

何も考えずに、思い立ってササッと飛び出す時の解放感は、堪らない。
1人で自由にブラブラすることも楽しい。

そして、わたしの周りのみなさんは各方面で活躍していて忙しいから、なかなか都合は合わない。だから、たまたま都合が合ってご一緒できる時も嬉しい。

「どう転がるのか分からない楽しさ」と「どう転がっても楽しい」の両方が味わえるから。

また「あ、風が吹いた」と思えば、それは何かの呼びかけかもしれない、と飛び出す。

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