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一、秋晴れ

澄んだ青空、ひんやりとした風

 昼間の時間が日を追うごとに短くなり、薄手の寝具を片付けて厚手の寝具を出した。これから使う毛布を洗うのだ。ドーナツ状の洗濯ネットに毛布を一枚入れて、洗濯機を作動させ、物干し竿で乾かしている間に次の毛布を洗濯ネットに入れてセットする。洗濯機の毛布コースは一時間強を要す。そのため、家族全員の毛布を洗って乾かすのに日中の大半を費やすことになりそうだ。

 十月下旬ともなると、身体がこの陽気に慣れて久しい。秋晴れの空を眺めて真っ先に思い出すのは、秋雨前線が遠ざかって秋の空気に入れ替わり、ひんやりとした風が新鮮に感じられる十月初旬の出来事だ。

あの人は

 今から三十年近く前、私はある一人の学生と急速に打ち解けた。自分の恋心に気付いたその時、私はろくな用意もせずにその人へ電話した。二人が相思相愛だとわかると、どちらからともなく「すぐに会おう」ということになった。次の日、学内のとある場所で顔を合わせた。そしてお互いの気持ちを確かめた。いつの間にか季節は進んでいた。澄んだ青空が二人を祝福し、心地よい風が私を後押ししている――私はそう感じたのだった。

 残念ながらその人とは別々の道を歩むことになり、交差することなく今に至っている。数年前、当時の仲間と昼食を共にすることになった。その日は連れ合いが勤務日だったため参加を見合わせようかとも思ったが、子連れでも構わないというので子を伴って参加した。その人も来ていた。わが子がいる前だというのに軽く私をからかって気を解すところは昔のままだったが、その人は別れ際にこうつぶやいた。

「サカタニはいいお母さんしてるなぁ。」

私が「いいお母さん」とは見当もつかなかった。良妻とか賢母とか、そういうものは私とは対極にあるはずなのに。私には見えないものがあの人には見えたのであろうか。そう思いながらその場を後にした。

母としての試練

 いま私は母親として苦境に立っている。この数年の間、学齢期となった我が子が相次いで不登校となり、私も外出がままならない。学校教育へアクセスできなくなると公教育を受けさせることは非常に難しい。また学校給食のようなバランスの取れた食事を提供するのも難しく、健康診断も未受診のため現在の健康状態を把握できていない。親は子に「普通教育を受けさせる義務を負う」と憲法に規定され、それに基づいて社会が形成されてきたことを考えると、我が子がこの社会で生きるためには、ある程度の教育水準に達する必要性を感じている。だが、尊重されるべきは本人の意志で、強引なやり方は逆効果となる。私の暗中模索は始まったばかりだ。

前へ

 COVID-19のパンデミックで社会が激変し、誰もが困難に遭遇するリスクを抱えている。みんなで会って近況を語り合いましょうという機運にはなく、あの人と会う機会も暫くないだろう。私は課題解決のために全力を注ぎ、挫けそうになったときにはあの青空を思い出し、あの風を思い出し、前に進む力を得たい。もしあの人に会うことがあったら「いいお母さん」と言われたがために頑張ってしまったことを嘆きつつも、その言葉自体はとても嬉しかったと伝えたい。できればその頃には苦境を乗り越えていたい。

 今日の秋晴れは何の変哲もない日常の中に広がるが、一つの特別な思い出が私を清々しい世界へと導いてくれる。このポジティブな空気感を取り込みたいとばかりに、私は窓を開け放った。

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読者の皆様にとって良き一日となりますよう願っています。私サカタニミホは、 皆様により良い記事を提供できるよう、日々精進してまいります。