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職場における「時間差のコミュニケーション」が通じない時

テレワークの拡大と共に、オンラインミーティングで喋った内容が録音され、リンクが送られてくることが増えた。

試しに聞いてみると、自分が会議に出席している時には気にならない「あー」とか「えー」とかの言葉が、後から聞く動画に挟まっていると不快なことこの上ない。

結局、私は会議の出席者にミーティング資料を読みながら話を聞いた。

「ここの議題って結論どうなった?」

なぜこのようなことが起きるのだろうか。私の仮説は「終わったミーティングでは、自分の思考を混ぜ合わせる機会が失われているから」というものだ。

出席しているミーティングであれば、話を聞きながら自分も頭を回転させていて、意見を言うことによって議論の流れに影響を及ぼせる可能性がある。

その状態だと、他の参加者の"あー"とか"えー"といったまどろっこしい表現は「自分が考えるための余白」になる。だから腹が立たないのである。

ところが、終わってしまったミーティングでは、いくら自分が意見を持ったとしても途中経過にはもはや影響を及ぼせない。

「今更動かしようのない事項に対して事細かに教えてもらっても時間の無駄」という心理が働いて、結論を早急に求めるメンタリティになっているのではないだろうか。

テレワークの普及により、世の中は会議の録音と共有がかなりやりやすい環境になった。だが、ハッキリいって素人の喋りを無編集で届けることは、ビジネス的にはNGな行動と言わざるを得ない。

そんなことをするぐらいならば、ミーティング資料に重要な要素を赤字で追記したものを共有するほうが遥かにマシだ。

情報の伝達効率が重視されるビジネスの世界では、よほど作り込まれた動画でない限り共有するに耐えないのである。

これがエンタメ分野だと話は少し違ってくる。将棋ファンである私は、録画したテレビの対局を後から見返しても楽しむことができる。

既に勝敗が決まっていたとしても、プロ棋士が考えている間に「自分ならこう指すな」とアレコレ考える過程に喜びがあるからだ。

サッカー番組も同様で、既にニュースで勝敗を知っていたとしても、「どのような駆け引きの末にこの点差となったのか?」という視点で改めて見ることができる。

つまり、「ステージ上でプロが演じている姿を、アマチュアである自分が観戦している」という構図であれば、「途中過程を楽しむ」が成立するのである。

なぜなら、いくら自分が考えたところで、どのみち結果に影響を及ぼすことはないのだから。

裏返すと、ミーティングに出席するビジネスマンはみな当事者なので、このような方法は通じない。

という訳で、私がミーティングに出席していて、欠席した他の同僚(特に決定権者)がいたとしたら、指示を待たずに結論を共有することを徹底しようと思った。

「動画のリンクが共有されてるからいいや」とスルーする姿は、決定権者の立場からは非常によく見えているものである。

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