セルビアのバレーボールチーム、タイとの対戦で吊り目しぐさ
六月のバレーボール選手がタイ戦で吊り目した件。処分受けたチームの釈明ツイートにはなんと、私たちは「affectionate親しみを込めた」ジェスチャーだと思ってたんけど今回アジア人にはネガティブに解釈されるって理解しました、と書いてあります。
抗議がなければこの認識はずっと続いたわけですね。
だから、今回、バルセロナチームの公式ビデオでチンチョンチャンいってるグリズマンが公式アカウントのツイートで、「僕は差別には常に反対してきたしレイシスト扱いされて心外ぷんぷん断固抗議する」と言ってるのもきっと本当に本人そう思ってるんですよw
ですので「グリズマン本人も差別の意図はないと言ってる」などと味方しないで、しつこく声を上げて抗議し続けないと永遠にアジア人にはチンチョンチャンいうことも吊り目仕草にすることも差別として認識してもらえません。学校の先生でもアジア人に対してだと差別だと認識しない人多い。
ひろゆき氏が「フランスでは差別は犯罪なので裁判で差別とされないと差別じゃない」とおっしゃっていますが、アジア人がきちんと抗議して騒いで「それは差別である」という認識にかえてかないと、裁判にしても裁判官にまで「それは差別じゃない」と言われちゃう可能性も今までのフランスの現状では実は大いにあります。
なお、基本的に差別は親告罪なので(*)、誰か個人なり団体なりが告訴しないと裁判にならないはずです。つまり痴漢と同じですね。痴漢もされた人が刑事告訴しなければ犯罪にはならないでしょ。さまざまな理由で刑事告訴できない人は沢山いると思いますがだからといって痴漢行為がなかったことにならない。
追記(*)ツイッターの@ma_angieさんから「日本では「ちかん」は迷惑防止条例違反で、告訴は必要ないそうです。(強姦などは必要でしたが、法改正されました。) とはいえ通報や被害届の提出などがないと警察は動かないので変わんない気もしますが。」とコメントいただき以下のリンクを教えもらいました。
https://keiji.vbest.jp/columns/g_other/3717/
昔、パリの日本人新聞のovniのユーザフォーラムができた頃に幼稚園で息子が人種差別のいじめに遭ってるのを送った後に中庭外から覗けるのでのぞいて見てしまったが幼稚園側に言っても中国人を中国人といって追いかけるのはいじめじゃないと言われどうしたらいいかという相談してる人がいたの覚えいます。
わたしも一度子供が幼稚園で教わってきたと喜んでわたしの前で踊った中国人についてのダンスと歌が衝撃で、幼稚園に「これはどういうことでしょうか? 私たちアジア人にとっては人種でステレオタイプ化した侮辱的な仕草だし娘がこういうダンスさせられるのは困るんですけど?」と話に行ったことがあります。(この童謡についてはこちらに別記事)
「また、うちは日本人とのハーフで中国人ではないけど、日本と中国には歴史的に軋轢があり、日本人の一部は中国人差別をする。だからこそ余計日本人のハーフである娘が中国人の前でこういうことをしたら困る」とも付け加えました。
アジア人もアジア系ハーフもその時はその幼稚園で娘一人だけでした。娘はまだ小さかったのでそれで傷ついたとか差別されたとかいう感覚はなく一緒に楽しく踊ってたみたいなんですが(ˉ ˘ ˉ; ) 、スタッフの一人は流石に何か気まずいことに気が付いたのか、娘に「あなた吊り目じゃないし中国人に見えないわねー」などと髪の毛を撫でながら言っていたそうですが。いやそういう問題じゃない(ˉ ˘ ˉ; )。
たしかに差別というのを「差別してやるぞ」という悪意満々なものだけに限定して定義したらこれは差別ではないかもしれませんが、だからといってアジア人を見たら「中国人中国人チンチョンチャン!」と言ったり吊り目したりするのが「普通」の世界に住み続けたいとおもいます?
思わない場合、解決方法は二つあります。
1. 場所を変えて自分と同じ属性の人だけのグループに引きこもって暮らす
2. 程度に応じてきちんと不快であることを表明したり抗議したりして、まずは相手の認識、そして社会の認識も変えていく。アジア人に向かってチンチョンチャン言ったり吊り目仕草するのが差別であると認識するようにしていく。
子供だけじゃなくていい年したおっさんとかでも条件反射みたいに「シノワシノワチンチョンチャン」って笑顔で言ってくる人がいるんですよ。田舎で車生活だとほぼなかったですが都会で公共交通機関と徒歩が多いと経験しがち。
ここで「相手は差別する意図や悪気がないんだから」なんて相手を理解しちゃダメです。そもそも見ず知らずの他人にいきなり身体的特徴を強調してくること自体がアグレッションなのですから。
差別する人のほとんどは自分のやってることが差別っと自覚してないし差別してやろうと思って差別行為をとってるわけでないことが多いです。だから差別だと指摘されると限りなく屁理屈を捏ねて否定しようとします。
たとえば「中国人!」と道端で叫ばれた時に、足を止めて「それはレイシストだ」と言ったとします。帰ってくるこたえは「中国人を中国人と言っただけなのに何がレイシストなんだ」です。
それに対し「わたしは中国人でない。日本人だ」と言ったとします。すると、返ってくる答えとしては、
1. 「同じだろ?」(フランスでは中華系ベトナム人とか国籍が中国でない中華系がたくさんいるし、レストランでも寿司と中華とボブンが一緒に売られてるしで、アジア人=中国人と本気で思ってる)
2. 「お前中国人じゃないなら、だったらおれが言ったのはお前のことじゃないだろ? おれは中国人と言ったんだしお前が中国人じゃないなら関係ないだろ?」
3. 「人種差別というのはホロコーストとかのことでそういうことじゃない。これはただのユーモアだ」
4. 「おれは中国人の友達がいるがやつらはお前みたいにキッキしないでもっとクールだ。お前はユーモアがない」
これらの屁理屈を差別されてる側が鵜呑みにしないでくださいwww
また、わたしを含めて日本から来てフランスに住んでる人に関しては、最悪耐えられなかったら日本に帰れますし、お金があるならガチなフランス社会で働いたりせず日本人だけで治安良好地区だけに固まってるとか日本好きのフランス人としか付き合わないという方法もありますが、
現地で育つアジア系やアジア系ハーフの子供たちはそうはいきません
また、「差別する側は差別しているという自覚や、加害してやろうという積極的な悪意はない」とは言っても、相手を人種や性別や体格やまた「言葉がわからないから反撃してこないだろう」という前提で舐めてかかってるからこそ、気軽に衝動でチンチョンチャンなどエミッションするわけです。おkのあたり痴漢と似ています。
その証拠に、筋骨隆々の身長180cm越えのアジア人男性相手に「シノワシノワチンチョンチャン」と通りすがりにゲラゲラ笑いながらいう「ユーモア」を開陳する人は、麻薬や酒で自己防御本能が外れてない限りほぼいないはずです。テレビやスマホなどの画面越しだったらなんか行ったりやったりするかもしれなくてもね。
そういう意味でやはり弱者(と自分がみなしたもの)に対する差別なんですよ。
人は面倒を避けたいのが本能です。彼らはユダヤ人アフリカ人アラブ人には同じことをしません。彼らに同じことをしたら公衆の面前で大声で抗議され面倒なことになるからです。
またこういう差別を差別という自覚なく気軽にする人たちはおつむが軽いので、こちらが不快であり差別的・侮辱的であると思っていることをはっきり表明しないとわかりません。表明してもそのときはかならず屁理屈をこねたり、まっすぐ謝らなかったり、自分の「ユーモア」や「親愛の情」をみとめさせようとゴネて暴れます。
そんなわけで「空気を読まずにぶったぎって不快感を表明する」のは、こちらにとっても面倒なのでなかなか大変ですが、一回やれば相手の頭の片隅には「アジア人はみんななんでもニコニコ笑って許してくれておとなしいと思っていたけどうるさいやつもいるんだ」ということが残り、次からはちょっと考えるようになるのです。