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常に世界から好意的に迎えられてきたFIFAワールドカップでの日本代表サポーターの歩み 日本のサポーター史の入口

いよいよFIFAワールドカップ2018ロシア大会が開幕する。これまで、ワールドカップに出場するごとに、日本代表サポーターは世界の舞台で確かな足跡を残してきた。ここで振り返ってみよう。

“FIFAワールドカップ1998フランス大会”日本サポーターの世界デビューは前代未聞の大騒動に。

日本代表の試合観戦のためにチケット付きの観戦ツアーに申し込んだサポーターは約3万5000人。しかし、旅行代理店が入手できていたはずの観戦チケットの多くが、旅行代理店に届かないという大騒動が起きる。旅行代理店が入手できたチケットは申込数の20%程度だったと言われている。このため、大手旅行代理店の近畿日本ツーリストが応援ツアーを原則中止するなど、多くの観戦ツアーが中止となった。それでもチケット入手のめどが立たないままにフランスへ渡航するサポーターも多く、現地では30万円を超える高値でチケットが取引され、世界的なニュースとなった。

世界は日本サポーターを好意的に報じた。それはゴミ拾いだ。

多くのサポーターはアジア地区予選と同様に青いゴミ袋を応援グッズとして持参していた。そのゴミ袋にスタンドのゴミを集める試合後のサポーターの姿が、驚きと称賛をもって海外メディアに取り上げられたのだ。当時の報道は「これこそフェアプレー」「入場前より試合後の方がきれい」などと伝えた。

“FIFAワールドカップ2002日韓大会”日本のサポーター カルチャーが世界に高く評価された。

世界各国からサポーターやジャーナリストが多数来日し、日本サポーターを高く評価した。流れは変わった。著名な著作を持つ英国人サッカージャーナリストのサイモン・クーパーはニューズウィーク日本版で日本サポーターについて大きく誌面を割いて紹介している。

「敗れた代表にも拍手を送る日本人を見て僕は涙ぐんだ。笑顔でブーイングできるファンに世界は学ぶべきだ。」
「おまけに日本人は、外国のチームが気に入れば喜んで応援する。クロアチア─メキシコ戦では、クロアチアのユニフォームを着た日本人が途中からメキシコを応援しはじめた。メキシコのほうが面白いサッカーをしていると思ったからだ。セネガル─トルコ戦でも、両国のカラーを身につけた日本人がたくさんいた。」

世界各国から日本を訪れたサポーターが街に繰り出した。

“FIFAワールドカップ2006ドイツ大会”失望ムードで帰国したサポーターは大会後に怒りを爆発させた。

2006年8月9日に国立競技場で行なわれたトリニダード・トバゴとの親善試合ではスタンドに「早稲田―古河+電通=0勝2敗1分」の横断幕などが掲げられた。川淵三郎キャプテンの出身校である早稲田大学閥が日本サッカー協会をコントロールしているという疑念、川淵三郎キャプテンの出身チームである古河電工を母体とするジェフ千葉の繋がりで事前交渉が成立し、サポーターを置き去りにして監督決定をしたのではないかという不満、日本でのテレビ中継時間を考慮して、FIFAワールドカップ2006ドイツ大会のクロアチア戦が酷暑の時間帯のキックオフになったのではないかという怒りが表現されていた。

“FIFAワールドカップ2010南アフリカ大会”治安が悪いと噂された現地で警察のお世話になるサポーターも。

これまでの欧州開催とは環境が大きく異なり、開催地の南アフリカは治安の悪さが心配された。そして1万3500㎞と距離も遠くなったことで、現地へ応援に行くサポーターは著しく減少した。そこで「安く、楽しく、安全な」ツアーを作ろう!と「サポーター村をつくる会」が設立された。

日本サッカーは南アフリカで再び躍進。日本全国がテレビ観戦で湧いた。大活躍した本田圭佑をたたえる「本田△」(ほんださんかっけー)、大会前に批判の的になっていた岡田武史監督に謝る「岡ちゃん、ごめんね」が「ユーキャン新語・流行語大賞」候補の60ワードにノミネートされた。

“FIFAワールドカップ2014ブラジル大会”では広いう国土の移動に苦戦した。

「日の丸ハチマキ大作戦」を実施。日本国内の100円ショップで購入した日の丸ハチマキを大量にスタジアムへ持ち込んだのだ。英国高級紙ガーディアンが選定する「ワールドカップが教えてくれた17のこと」に日本サポーターの清掃活動がランクインした。

FIFAワールドカップ1998フランス大会で世界デビューしてから20年。ロシアで5大会目となる。日本サポーターは、常に世界から好意的に迎えられてきた。また新たなサポーター史をつくる。

「日本のサポーター史」では、過去のサポーターの出来事をまとめて掲載しています。


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