見出し画像

神々の山嶺

神々の山嶺:アニメーション 2021年
パトリック・インバード監督、共同脚本
原作 夢枕獏
作画 谷口ジロー

原作の「神々の山嶺」を読んだのは1997年。
もう、四半世紀も前になる。
けれども、この小説を読んだときの、胸の鼓動はしっかり覚えている。
読み終えたときに、ズドーンと胸に響く体験をする小説はそれほどたくさんはあるわけでない。
読み終わるのが惜しくなるほどの魅力的な本に出合えた時は本当に幸せだ。

「神々の山嶺」は、読み終えた後、何日も何日も心を揺さぶり続けた。
そして、書物を「読む」という体験だったにもかかわらず、私には見えたのだ。
凍った雪山にうずまったマロリーの死体。
そして、人間の命をも飲み込む、大きな厳しい山々、恐れ多くも連なる山々を見てしまったのだ。
自分の部屋にいるのにもかかわらず。
書物によって「体験」し、「見る」ことができるという稀な読書をしたのだ。

その後、実写映画化もされ話題になった。
見ているだけで足が凍りそうになり、指が欠けてないか確かめてしまった。

その間、谷口ジローは漫画を描きながら、フランスでアニメーション化を進めていたのだと知った。
しかし、谷口ジローは2017年に亡くなってしまったので、アニメーションの完成を見ることができなかった。
さぞや残念だったことだろう。

アニメーション版は、なんとあの大作を95分にまとめてある。
まるで、主人公の羽生本人の生き方のように、鋭く、本当に必要なものだけを凝縮した作品になっている。
谷口ジローの作画どおりの羽生や深町の表情。
鋭くも険しい、エベレストの山々。

饒舌ではないが、真実に迫ろうとするアニメーション作品となって、今度は本当に、山やマロリーの「絵」が私の目に入ってきた。
不思議なことに、それは四半世紀前に読んだ書物からの絵と何ら変わることがなかった。

これは小説も、アニメーションもすごい作品なんだと思う。

山に取りつかれ、エベレスト冬季無酸素登頂をめざす羽生の姿。
羽生を撮り続けるカメラマンの深町。
若くして命を落とした文太郎。

そして、懐かしい新橋駅周辺の景色。
登山家マロリーのカメラを追い求め、マロリーが本当に、エベレストの登頂に成功したのかどうか、探っていくうちに、登頂したかどうかは問題ではないという結論に至る。

山があり、山に挑んだ。
成功したかどうかではなく、どのように山と対峙し、いかに生き抜いたか。
突き詰めると、自然の中での命のやりとりということになるのだろうか。

エベレストの山にはいったいいくつの魂が氷の中に眠っているのだろう。
しかし、シェルパの人ってすごい。

神々の山嶺


よろしければ、サポートお願いします。老障介護の活動費、障害学の研究費に使わせていただきます。