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わたしのバタフライ

この歳になって、テレビでスポーツ中継を観ることが好きになってきた。

子どもの頃は、バラエティ番組や学校で噂になっているドラマなどが好きで観ていたが、たまに父親が野球やサッカー中継を観ることがあり、その時間テレビが観られなくなったり、延長されてその後に放送される予定の観たいドラマが遅くなり寝る時間が迫って観られなくなったり、あまりスポーツ中継を好き好んで観る子どもではなかった。
そんな、アニメでもよく見かける普通の子どもによくありがちな子供時代をすごしたのだが、それが大人になりスポーツ中継を観るようになったのは、その子ども時代の懐かしさを感じられるからだろうか、なんとなくチャンネルをそちらに変えてしまうのだ。

夏になり水泳の世界大会なども観る。プールの青は涼しく感じられるし、水泳のルールもそんなに詳しくなくても楽しめる。

昨日はバタフライの競技を観た。特段、応援している選手がいるわけではなく、ただ日本人がいい成績を残せたらこちらも嬉しい。

特に運動が得意なわけでもない、体育の成績がずっと3であったわたしだが、水泳は小学1年から卒業するまでの6年間習っていた。
他の子どもよりも進級がゆっくりなわたし。やっと小学5年生の後半から、選手コースの一歩手前のクラスになり、バタフライも泳げるようになっていた。

その頃に1回だけ、市の水泳大会に出場するよう声をかけられた。
会場はいつも練習しているスイミングスクールではなく、街にある自衛隊が所有しているプールだった。
そのプールでもスイミングスクールがあり、そこで習っている学校の友達づてに聞いた話によると、プールはいちばん深いところで1.7メートルあり、端っこでも1.5メートルとのこと。当時身長150㎝もないわたしにとっては、ずっと浮いていなければならない状態であった。
しかもわたしがエントリーされた競技が、一度も泳いだことのない200メートルのバタフライだった。

何の練習もなく初めての足のつかないプールで競争することになった。8レーンあるプールだったけれど、同じ競技に参加する小学生は4人だけだった。しかも1人が棄権することになそうで、どんなに遅くゴールしても3位の状態。もう足もつけないし、ほかの2人が先についている中、わたしは3分近くかかって泳ぎ切った。

ようやく泳ぎ終わってプールの端まで行って這い上がり、友達のいる場所まで歩いていくときに、審査員の人がバタフライの息継ぎの仕方についてなにか話しているようだった。
きっと自分のことだと思ったけれど、こっちは初めてでたくさんの市民に見られるプールで必死に泳ぎ切ることしか考えてなかったので、息継ぎやフォームなんて気にする余裕もない。

それでも3人で泳いで3位だったので、一応賞状をもらうことになっていた。
わたしの長いタイムもわざわざ書かれて、しかも後日自分のスイミングスクールから出場したのになぜか小学校の全校集会で表彰されることとなったので、その会場にも行っていない学校の友達やクラスの人にも、わたしの遅いタイムが知られることになった。
他の競技に出場した人よりもかなり遅いタイム。なぜ校長先生は高々と読みあげたんでしょうね。

このことは自分の家族の中でも記憶に残る出来事となった。
うちの父は親戚が集まった時にこの話を大人になってもするし、あまりうれしくはないことだけど、珍しい出来事ととして話のネタに使っているようだ。

今おちついて水泳競技を観られるようになったのも、子供のころのあの頃の恥ずかしさから随分と離れていったことも理由の一つかもしれない。



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