柳のように

1月13日

私は柳になりたい。

しっかりと土をつかむ根をはやし、強風にあおられてもしなやかなに受け流

す、そんな柳だ。

それが理想の生き方。

ここ最近の私、柳に近づいているぞ。

ふふふ。

私史上、最も私らしい目標を見つけ、仕事とプライベートの境目がなくなっ

てきて、喜びを感じている今日のこの頃。

ふふふ。


……のはずだったのだが。

とんでもなくくだらないことがきっかけで目標にモザイクがかかっ

たようになっている。

ふいに開いたフェイスブック。そこに苦手だなと思っている人の投稿が

目に入った。気持ちとは裏腹に目は必至に投稿を読もうとしているのであっ

た。

ただそれだけのこと。だったはずなのだが、私の頭上には凄い速さでもくも

くと分厚い雲が広がっていった。

私は、嫉妬していたのである。相手の充実した仕事や生活ぶりに。


そんな感情からは、もうとっくに一線を置いたと思っていたのに、

こんなことで、私は。

そう思うと、雲は拡大し、今にも雨が降り出しそうだった。


昔の私だったら、「こんなことで負けるか」とハングリー精神の火を

轟々と熾していたことだろうが、いずれも独り相撲だったり空回りしていた

だけで、情けなく終わりを迎えていたし、

「悔しい」という気持ちは、内容によっては「怒り」に転換されてしまい、

スポーツのような清しく対等な対決とは違って、泥沼と化す危険性があった

理屈ばかりこねたが、ぶっちゃけ。ダサイくないか、私。

ダサくて死にそうである。


いつだったか、ノーベル賞を受賞した中村修二教授が言っていたことを思い

だす。

「私のエネルギーは『怒り』だ」と。

私はこの話を聞いて、深く共感した。

悲しみや悔しさはやがて怒りとなって、自分にエネルギーを与えているのだ

と思っていたし、思いだせないが実際にそのようになった事例もあったこと

だろう。

しかし、自らを信じて疑わない輝くようなエネルギーには敵わないんだと

私は感じている。

実際に、私の怒りは、長時間燃えたぎる体力はなかったのだし。

たぶん、人間が真から求めているものが希望だからだろうなと思う。


今の私には「怒」は、喜怒哀楽のなかで一番縁遠い感情なのだ。

できることなら、一生、お付き合いはしたくない。

そんなこと難しいのは百も承知だが、気持ちの整理整頓の仕方をある人から

授かったではないか。

旦那はこう言った。

「SNSを辞めることも方法の1つではあるけど、湧いてきたその感情を

時間をかけて見つめるのもいいんじゃない?これからの自分に必要な何かが

あるのかも。感情をぞんざい扱うのは勿体ないかもよ」


旦那は、柳の根を支える土だ。


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