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電子書籍の時代だからこそ、黄色い本を読む人に私はなりたい

本を、読書を描くあまたのマンガの中で、突出していると言っていい傑作中の傑作。ニューウェーブの旗手と呼ばれ、寡作だが圧倒的な表現力の持ち主の高野文子先生のマンガとの出会いはアフタヌーンで読んだ、後に第7回手塚治虫文化賞受賞作となる、この表題作「黄色い本 ジャック・チボーという名の友人」だった。

※ 今回、特に全編を纏めたので、ネタバレが気になる人はここでやめて書店へ向かってください。




「高校三年生、実ッコちゃんこと田家実地子は、今日も学校の図書室から借りた5冊の黄色い「チボー家の人々」を読み進める。大家族のにぎやかな生活の中で小さい子に泣かれたり、母親の弾圧にあったりしながら、スタンドの明かりを頼りに、じっくりと。

 読み進めるうちに実地子は「チボー家の人々」の世界にダイブする。「集会」に集うインターナショナリストたちの中の極東代表として発言し、仲間たちの賞賛を得る素晴らしい革命への日々へ。

しかし、もう現実では実地子は職につかねばならない齢。特技の編み機とミシンによる創造性のある仕事の夢を、ダイブ先での革命への夢と共に、夢として飲み込み、ダイブ先で「そういう職に就く、気は持ち続ける」と発表するコトで自分を納得させ、大量生産のメリヤス工場への就職に向かう。それも大事な服飾の仕事なのだ。

父に、一生読む本として買ったら?と促された実地子だが、購入はせず、ジャック・チボーとの別れと共に図書室に本を戻す。もうジャック・チボーたちのいるメーゾン・ラフィットにはいつでも行けるのだ。」


大胆に「チボー家の人々」の文面を使った表現と、センスが溢れ出る影の表現が闇の中での読書に多用される。方言を多用した日常の描写はしっかりと地に足がついていて、とても生き生きした人々が暮らす生活感がある。引き戸の音とか、小さい子の足音も聞こえてくる。

本読みならばどれほどに正確な描写かと思うダイブ中の表現。今読み返すとラストの別れは、電子書籍の時代には消えていくものかもしれないなどと無常を感じる。

表題作以外。「CLOUDY WEDNESDAY」は他人のリメイク作の小品だが、とてもPOP。淡々としたコマ割りの中、ラストでトトンと進みと構図が変わる。出張帰りの父親を待つ、主婦と子供2人のお話。

「マヨネーズ」は社内恋愛。さわやかな五月、手話をたしなみ、ちよっとボーッとしてそうなたきちゃんに魔の手が迫る。でも、魔の手が魔の手じゃなくなるとどうなるのか。後半はスキップしながら読んでるような感覚に。デスク下に落ちたお菓子、五家宝を拾ってゴキゲンなたきちゃんが可愛すぎる。

「二の二の六」、訪問ヘルパーの里山さんが、住所の最後が「2-2-6」のおばあちゃん、サキさんの家にうどんを作りに行って、独身中年の長男と過ごすお話。短い中で、生まれてもいない2つの恋が……。こちらもシンプルなコマ割りなのに、とても楽しいリズム。途中で出る女子高生のあとずさりの破壊力は表現の極み。

とにかく、シンプルな線で構成されるのに奥行きが感じられる作画と、独特の空気感。「黄色い本」の田舎感と相対する「CLOUDY WEDNESDAY」の都会感、「黄色い本」の濃密な話と「マヨネーズ」の可愛い小話、「黄色い本」の影の重みと「二の二の六」の明るい世界、絵柄は変わらずに色々な世界を描く筆力。凄まじいセンスに唖然とする。

マンガの表現の1つの到達点と思われる表題作は、とにかく本読みに読んで欲しい一作。もちろん実本を手に取って読んで欲しい。そう、いまだ電子書籍にはなっていない作品で、それが当然な一冊なのである。

でも、まあ、そのうち電子書籍になって欲しいかも。現在、アマゾンに在庫が1冊しかなかったり……入荷するよね?増刷しますよね?大変な、マンガ界の歴史に燦然と輝く傑作なのですよ、コレ。




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