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「すずめの戸締まり」 一人の心象風景と人の心が離れることへのメッセージ 〜考察〜

新海誠の最高傑作

「すずめの戸締まり」を鑑賞してきました。かなりの名作では、、と感じています。備忘録的にまとめてみました。ネタバレも含みます。


ストーリーは幼くして親を亡くした少女と、「閉じ師」の青年とのロードムービーだが。。。

物語は、比較的、急に唐突にいきなりSFチックに始まります。
高校生の少女(すずめ)が出会うのは廃墟にある「扉」を閉めているという「閉じ師」(そうた)。すずめが災いの原因となる扉を押さえている要を抜いてしまい、猫のような”ダイジン”にそうたが椅子に姿を変えられてしまう。。ダイジンを追いかけながら、各地の扉を閉めてまわるロードムービーとして展開していきます。

以下感想と考察

名作だ。。と思わせるストーリー構成とテーマ

この映画の見どころは後半にかけての仕上げ方でしょう。
正直、前半部分では何故、廃墟なの?とかダイジンってなんなんだ、この猫なんなんだ、すずめの過去は、、などと思っていましたが、すずめが元自宅を訪問し、"だいじなもの箱"を開けた辺りから物語は一気に畳みかけます。

この映画は、一人の少女の心象風景を描いたもの

私はこのシーンで、だいじなもの箱==ダイジン の比喩なのかと理解しました。そうするとこれまでの戸締まりの話は主人公の内面の物語の反映でもあると解釈できます。主人公は地元から遠く離れた宮崎で過ごしていますが、幼い時の記憶をどこか遠くに放っています。そんな本人にとって重要な記憶や想いをおざなりにしてしまっている、心が離れてしまっている状態を要が抜けてしまっていると表現されているワケです。サダイジンは叔母さんとの関係の比喩でしょうか。。この物語はそんな少女が、お母さんがいないこと、震災で経験したこと、これからの自分の人生を歩んでいくことに向き合う物語と言えます。最後の扉を閉めるときに

"ただいま"

と声をかけることですずめは自分の戸締まりを終えていました。すずめが戸締まりをしている物語と思ってみている鑑賞者に、これはこの子の戸締まりなんだと気づかせるカタルシスにこの映画の妙があると思いました。

同時に鑑賞者に被災地への想いを呼びかけている映画でもある


また、一方で、この映画のメッセージは主人公の内面の問題にとどまらず、震災から10年が経った今だからこそのメッセージも含んでいるように思えます。椅子の姿から人に戻ったそうたは最後に、閉じ師について

人の心が離れてしまうと扉が開いてしまう。それを閉めるのが僕たちの仕事なんだ

というようなことを言っています。つまり、日本の各地にある、昔は人の心があった地が寂れていく哀しさと、同じことが被災地で起きていませんかというメッセージを感じます。

筋としては、新海誠のセカイ系でありながらも、こんなにしっかりとしたメッセージを出してくる、しかも演出の仕方が非常に巧みでかなり心にグッとくる映画だと思います。何というか、よくぞこういう映画を作ってくれた。。という気持ちになりました。

改めて”戸締まり”の意味を考えてみる

過去に向き合う、ありていにいえば自分の心に整理をつけるというのはどういうことなんでしょうね。序盤ですずめは、「自分は死んでもいい」や「結局は運なんだ」ということを話していました。ダイジンは東京に災害が起きそうになっているときに、沢山人が死んじゃうよ!と叫んでいましたが、これらは幼い頃に親の死や震災を経験したことで、すずめがそうしたことに諦めを抱いていることを反映しているように見えました。

人に戻ったそうたが叫んだ "少しの間でも生きていたいんだ" というような死を目の当たりにしたからこその生への渇望には、共感するものがありました。

日常にある鍵を閉める動作を綺麗に描く

劇中では鍵を閉める動作が幾度となく描かれます。戸締まり、という何気ない動作に焦点を当てているのはセンスがいいなあと素直に思いました。ともすれば、今の時代、鍵を閉めるという行為も電子化などで薄れていたりします。こういう日常が送れることが素晴らしいことなのだと改めて感じました。絵やモチーフもどれも綺麗ですね。。その点で

生きることそのものが素晴らしいんだ、という生命賛歌
私たちは大切なことを忘れてはいないだろうか

これがこの映画のメッセージでしょうか。受取手によって色々な解釈があるでしょうし、だからこそ良い映画だと思いました。間違いなく、2022年の大作の一つと思います。細かなところは色々と考察のしがいが有りそうです。

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