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別れの季節について考える

みなさんこんにちは。えびしゅうまいです。

いま大学4年生のえびしゅうまいは、もうすぐ大学を卒業して社会人になる。そうなると当然環境が変わって、大学の友達とは4月から離れ離れになる。

学校でいつも一緒に授業を受けていた友達と同じ空間で授業を受けることはもうないし、バイトで会っていた友達と一緒に働くことはもうない。

もちろん休みの日に予定を合わせれば会えるけど、何もしなくても会えた今までと比べると会うことへのハードルはグンと上がる。コミュニティを離れるとわざわざ予定を立てて会うことへの難易度は高くなるのは当たり前。

そう思うと今までみたいに「じゃあね〜またね〜」「また」が一生来ない人もたぶんいる。

あとから「もしかしてあの人とあの時が最後だった?」となることだってあるかもしれない。

こんな感じに「授業でほぼ毎日会っていたけど休みの日に会うほどでもない仲の人」「バイトでシフトが被れば毎回話をするけど休みの日には会わない人」は今後会わないかもしれないし、実際そういう人はいる。

えびしゅうまいも一応えび寄りの人間だからそう考えるとさみしくなる。

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そして別れの季節がやってきて、自分がコミュニティを離れる側が近づいて思うことがある。

それは「自分が勝手に仲良いと思ってたけどコミュニティ内でしか会ってなかった人」に今後会えないかもしれないのは悲しいということ。


「自分が勝手に仲良いと思ってたけどコミュニティ内でしか会ってなかった人」は、同じコミュニティにいた時に個別で会ってなかったのに、卒業してコミュニティを離れてから会うことは難しい。というか今さらどう誘っていいか分からない。

自分がそう思うということは、もしかしたらお互いがそう思ってるかもしれない。もったいない。

まあ「自分が勝手に仲良いと思ってたけどコミュニティ内でしか会ってなかった人」と会う時間を「いつも遊ぶ仲がいい人」に費やしたことで「自分が勝手に仲良いと思ってたけどコミュニティ内でしか会ってなかった人」「いつも遊ぶ仲がいい人」に昇格したと思えばみんな幸せ。てか、実際そう。

そして、たぶん「自分が勝手に仲良いと思ってたけどコミュニティ内でしか会ってなかった人」にも「いつも遊ぶ仲がいい人」がいる。

こうやって世界はいい感じに回っている。(えびしゅうまい研究所調べ)

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あともう一つ思うこと。

それは、SNSは良い意味でも悪い意味でも別れのさみしさを軽減させている。

SNSで小学校卒業以来会ってない人が昨日食べたご飯だってわかるし、その人の仲良い友達の顔もなぜか知っている。

高校を卒業して1回もリアルの顔を見てなければ、住んでいる場所も違う友達の最新状況が常にアップデートされるから、同じ高校に通っていたときよりその人のことを知っている、なんてこともある。

だから実際に会うのは最後でも、SNSで繋がっている以上いつか画面越しのその人を見かけると思うと、全力の「今までありがとう、元気でね、さようなら」ができない。

まあ身近に感じられてすぐに繋がれるのがSNSのいいところだからしょうがないか。


そんなこんなでえびしゅうまいは社会人になるまであと1週間。別れの季節を超えた先には新しい生活がまた始まる。

住んだこともない東京で、しかも友達も全然いないし、人生初の一人暮らしでてんやわんやだった、4年前の同じ時期の気持ちを久しぶりにちょっと思い出してきた。エモい。

うん、広島の家族や友達との別れがあったから東京で新しいステキな人たちに出会えたと思えば別れの季節も悪くないね!




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