百花 (文春文庫 ) 著 川村元気
【忘れて失われる記憶の中で、蘇り残り続ける物】
認知症と診断された母を仕事をしながら支える泉の愛と記憶の物語。
歳を経ると人は子供返りして、注目して欲しいが為に問題行動を起こし、愛情を試す。
親という物は、子供にとっては切っても切れぬ呪縛のような物。
母が認知症になったのに、眼の前の日常の些事に後回しにしてしまう泉。
この病気によって失われていく記憶の中で留まり続ける母らしさ。
生活が壊れていく中でそれでも守り続けた物。
日記を紐解く中で泉の欠落していた物が鮮明に蘇る。
人間は、身体その物ではなく、記憶の集合体として初めて、存在するのかもしれない。
そして、人間の個性は欠けている事で、初めて生まれるのかもしれない。
認知症という病気の発症が、家族の記憶や思い出を、少しづつ変えるのだろう。
記憶が世代間で受け継がれる事はあるかもしれないが、失う物もあって。
失う事が大人になる事であり、人の成長であり老化なのだ。
大切な物が失われていく時、人はどの様に最期を迎え入れれば良いのだろうか?
それでも、ピアノ教師の百合子は直近の記憶を失っても、ピアノ演奏は失わない。
遠い日の幼き泉の記憶のままの百合子の一番大切な記憶は最後まで失わない。
よくよく考えてみれば、母の行動の源流は、常に自分である事に気付かされる泉。
手渡される親の想いは新しい生命を育む息子に受け継がれて行く。
人は、生きていく中で、数々の選択を迫られる。
逃げずに、より多くの選択を重ねた事で、より深みのある人間になれる。
ただ、歳を重ねる上で、誰しもが恐れるのは、病気や死ではなく、過去の選択した事実や、その時に関わった人や物の事を忘れてしまう事。
それでも、自分と関わってくれた人達の心と記憶の中では永遠に生き続けている。
自分が忘れてしまっても、大切な人達は自分の事を忘れずに覚えていてくれる。
本当の死とは、身体が朽ちて、魂が消失する事ではなく、誰からの記憶にも心にも忘れられて、残らなくなる事だ。
認知症の母が見たがっていた半円の花火とは?
その答えが明らかになった時に、胸に切ない痛みが差し込むように、満ち溢れた。
人は記憶で出来ているのだとまざまざと思い知らされる。
母の記憶から少しずつ泉が消える中でも、泉は母との閉じられた思い出に気付かされて行く。
自分がこんなにも愛されていた事を。
そうして、最期はちゃんと百合子と泉は親子になれた。