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映画感想文【ザリガニの鳴くところ】

※ネタバレあり

1950、60年代あたりのアメリカ、ノースカロライナを舞台としたミステリ小説の映画化作品。原作は2020年に翻訳出版され、2021年には本屋大賞翻訳小説部門で第一位に輝いている。
人の寄り付かない湿地にたった一人で暮らす若く美しい女と、殺人事件。
ミステリ好きならこの要素だけで興味をそそられることだろう。

<あらすじ>
田舎町で起こった殺人事件。被害者は若い男。
町の有力者の息子であった彼と、幼い頃からたった一人で湿地で暮らす風変わりで敬遠されていた少女が揉めていたことは町中が知るところであり、当然のように少女は容疑者にあげられてしまう。
昔は少女も人並みに暮らしていた。父がいて母がいて、兄弟がいて、湿地に育まれ。しかし父の暴力が原因で一家は離散してしまう。母が家を出たのを皮切りに、兄弟たちも度重なる暴力に耐えかね次々逃げていく。一番幼い少女はどこにも行けず、父と湿地に残るしかなかった。そしてその父さえも、少女を捨てて湿地を去る。
それからずっと、少女は一人だった。
しかし湿地があった。
湿地は少女を守り、育て、閉じ込める家だ。忘れがたい出会いも湿地が与えてくれたものだが、別れもまた湿地によってもたらされた。
それでも少女は湿地を愛し、湿地で強く生き抜いていた。やがて自身がそのものになるほどに。
被害者となる彼と出会うまでは。
町中が少女を殺人犯と決めつける中、しかしわずかながらも彼女を大切に思い、無罪を信じる知人たちが訴える。
『事件は事件、彼女は彼女。色眼鏡を捨ててどうか事実だけを判断してください』
圧倒的不利な裁判は果たしてひっくり返り、少女たちは無罪を勝ち取る。そして少女は再び湿地へと帰った。

…あらすじ長いな、スイマセン。
観てきたばかりのなのでやたら感情がこもってしまいました。

ヒロイン、カイアの厳しい過去と、それを自力で乗り越えていく様子は特に胸を打つもので、常に背景にある湿地の情景は美しく、しかしそこにあるだけだ。
『自然に善悪はないのかもしれない』というカイアの言葉は、実際に10年以上たった一人でそこで生きたという背景を考えると非常に重みがある。

初めての恋人、テイトとの出会いと別れは切ない。テイトの苦しみがとても切実で、確かにカイアを捨てたテイトが悪いのに、つい彼にも共感してしまった。「意気地なし!」とカイアが責めるとおり、テイトは覚悟も勇気もなかったけれどとても誠実で良いやつだ。だからこその裏切りと別れだったのだろう。

特に印象深かったのは、やはりカイアの強さだ。
カイアの少女時代、父は母に暴力を振るい、母は暴力から逃げた。妻に逃げられた夫は母の面影を全て燃やして捨て、暴れる。そして唯一彼のもとに残った娘をも捨てて逃げた。歴史は繰り返す、の言葉を再現するかのごとく、似たようなことがカイアの身にも起こる。
初恋のテイトに捨てられた時は、彼とのつながりであった絵を破って暖炉で燃やす。父のように。
次に恋人になったチェイスが、関係が破綻した後もカイアに詰め寄り、家で暴れ、彼女を殴る。これはカイアの父そのままだ。
しかし彼女自身は、彼女の母とは違った。逃げず、壊れず、立ち向かった。そして最終的に勝利を手にする。
雑草のような強かさが美しい素敵なヒロインである。

こうした人々の表情や歴史はとても良く伝わったが、しかし『ミステリ』という面ではいささか足りないかな…とも感じた。
裁判の場面ではカイアの弁護士が、カイアが犯人ではない証拠や理論を色々述べているが、あまりそこにはフォーカスが当てられていないように思った。というか、カイアたちの感情を描写するシーンが強すぎて弱くなってしまった感じ。これは意図的なものなのだろうか、是非とも原作の小説を読みたい。
また最大のネタバレである殺人事件の真犯人についてだが、ちょっと「うーん…」となってしまった。分からなくはないけれど…確かに嘘はついてない(=虚偽していないという意味)けど…。
結末を迎えるまで、明らかなミスリードにまんまと引っかかってしまった自分が悔しいだけかもしれないが。

総合して、良い作品であったと思う。映画館まで観に行ってよかった。


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