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適応障害の大学院生3年目、感情に向き合うということ

大学院修士課程在籍3年目、未だに卒業見込みなし。

この言葉を聞くと、どう思うだろうか。

普通なら2年で卒業できるはずなのに、卒業していない。研究も進んでいない。そんな人間をまず、普通の人間とは思わないだろう。

パワハラアカハラ、適応障害に双極性障害。大学院というのは、一歩踏み出して周りをみてみるとそんなものに囲まれた世界だ。

「なぜ、生きていてわけもなく不安なのか?」
「なぜ、急になにもできなくなったりするのか?」
「なぜ、自分のペースで良いよ。という言葉がうまく飲み込めないのか?」

研究もせずにそんなことばかり考えていた。
そんな自分が3年かけてたどり着いた、不安や体調不良の解決方法は「向き合う事」だった。

この記事は、「休学しながらキラキラ頑張って、新しい世界をみてきました!」だとか「適応障害になったけど、めちゃくちゃ努力したら結果がでました!」とか、そういう類の記事ではない。

説教とか、そんなことを言うつもりはない。ただ、ちょっとだけ「自分の感情と向き合う」と少しは楽になったというはなしを聞いてほしい。

やっとわかったこと

先程も説明したように自分はB4の時に適応障害と診断されて、気づけばそのままずるずると大学院3年目に突入した。

毎年のように適応障害と診断されて病院に駆け込み、休みをもらうということを繰り返している。

最初は毎年何故か年末ぐらいになると体が動かなくなって、希死念慮がたかまるということぐらいしか認識しきれていなかったけど、流石に3回もこれをやってくるとある程度全容が掴めてくる。

「適応障害になる→何もできなくなる→復活→何もやってこれなかったことに対する自己責任に耐えることができず、また最初に戻る」
この流れを繰り返しているということだ。

でも、その全容がわかったとして、ソレの解決方法がわかるかは別問題だ。問題の全体像は見えたのに、自分はその繰り返しを止めることができず、一生その世界の中で流れ続けていく。終わりのない卓上流しそうめん機の上で私は流され続けていくわけだ。

どうすればこのループを断ち切ることができるだろう?
私は自宅のベッドで夕暮れを見つつ、物思いにふけることしかできなかった。

自分の感情と出会う

適応障害と診断され、体が動かなくなり、ひたすら家で寝ている。

お家をでると不安になるし、家にいても不安になる。夜になると訳もない不安で悩まされすぎて、朝6時まで眠ることができない。そんな私は何もできることがないので、ひたすら自問自答することになる。

来る日も来る日もひたすら悩み続けて、自問自答しては寝るを繰り返した。

するとある日、ソレを繰り返していると少しずつ「自分の感情」みたいなものが見えるようになってきた。

自分がかわいい服やモノが好きで、実は絵をずっと描きたかったことがわかったし、意外とアナログで手を動かすのが好きなことがわかった。逆に嫌いなものも増えて、トマトと何も考えずにただ流される人や、すぐ怒るひとが大嫌いだということがわかった。

そうすると、少しずつ自分が生きている中で、あらゆる感情に囲まれながら生きているということを認識できる様になった。ご飯は美味しいし、紫陽花をみてきれいだなと思うようになった。

そこで、自分は1つのことに気づいた。

「自分の感情と向き合ったほうが、幸せになれるんじゃないか?」

真面目トラップ

今思うと、幼少期から、「自分の感情を出す人はダメだ」という意識が刷り込まれていた。

急にキレるひとは怖いし、癇癪をおこすと怒られる。逆に、理性をフル稼働させて生きていくと、めちゃくちゃ褒められる。

そういう経験から、無意識のうちに「自分は感情をだしたらダメなんだ」という呪いにかかっていったんだと思う。

そして、大人になってからはその呪いを認識することすらできず、自分の感情で判断しなければならないときに、それに頼ることすらできず、じぶんが無いような感覚になる。

適応障害になったのは、「このままやっていくとまずいぞ!」と自分がSOSを出しまくった結果なのかもしれない。

子供のようにやる

自分の感情に対するセンサーが鈍いことに気づいてからは、ひたすら自分の感情をおいかけるようになった。

そうすると、少しずつ感情センサーは育ってきて、まるで子供みたいに、「これ嫌い!」とかいうことが頭に浮かぶようになった。

感情センサーが育ってくると、毎日が感情の洪水になる。

好きな食べ物は食べすぎてしまうし、これまで高くて買えなかった作家の画集を買ってしまったりする。
これまでは電車に乗ることが耐えられてたけど、今では満員電車は嫌な感情になりすぎて乗ることができない。

小学生の子供みたいに、何が起きても自分の中の感情がうごきまわっているのだ。

自分の感情と向き合う

こうやって感情の洪水に飲み込まれるようになると、不安で動けなくなる日が増えてくる。

大学行けなくてこのまま大丈夫だろうか?また留年するのか?こんなことで就職することはできるのか?

そしてまた不安と戦い続けると、意外と、「何が不安なのかと向き合った日」ほどよく寝れる事に気づいた。

これまでは得体の知れない不安が湧き出てきて動けなくなっていたけど、それがやっと「得体の知れる不安」になった。そのことは意外なまでに効果は大きく、何が不安かがわかるとソレに対策ができるようになる。

そして、不安と向き合う

これまでは不安から逃げてばかりだったけど、不安になる理由は自分の不安という感情から逃げていたからなんじゃないだろうか。

夜不安になることは増えたけど、もう不安で朝まで起きることは少しずつ減ってきた。

不安になったら、何が不安なのか?を口に出して、「大学もどれるのかな、怖いなぁ…」とかつぶやきながら、泣きながら寝るようになった。

頭で考えることと、口に出すことというのはけっこうちがうらしく、頭で不安と向き合っていたつもりでも、一人で口に出してみると全然言葉が出てこない。

そうやって頑張って自分の口で感情を言葉にすると、急に涙が溢れてきて、おんおん泣いてしまう。

そして、そのまま睡眠し、朝起きると「その不安に向き合う覚悟」みたいなものがしっかり出来上がっていることが多くなった。

「人混みが嫌で大学に行けないのはもう仕方がない。じゃあ、どうしよう?」そういう、自分の嫌なことは嫌としたまま、それをなんとかカバーする方法を考えられるようになった。

いつ大学院を卒業できるかわからない。仕事があるかわからない。あらゆることが不安でたまらない。でも、自分の感情を知ることができたし、不安の対処法も少しわかった。少しずつ前には進めているような気がする。

自分の今主要な不安はこんなかんじ。

  • 大学院の授業が朝早すぎて起きれない

  • 全く研究ができない

  • 就職ができるかわからない

やっぱりこれらは怖いけど、もう不安で嫌になって動けないのも嫌だから、少しずつ向き合っていきたい。

これからと

今日は2023/06/11。そろそろいわゆる就活のシーズンはピークを超え、みな各々の内定を手に入れ、ソレを手に大学院卒業まで走り抜けるシーズンだ。

未だに就職活動に関してなにかしようとすると、手がプルプル震えるし、逃げたくなるし、なんとも言えない不安にかられて何もしたくなくなる。

なにも就職に関して前にすすんでいるわけじゃないけど、とりあえず就職のネタになりそうなバイトだけは始めることができた。

この記事を書いたのだって、自分が不安に思っていることをちゃんと記事として長い間向き合って書くことで、なんとか目をそらさないように自分の感情と向き合っていくためでもある。

大学院はまた1ヶ月サボってしまっていた。自分としてはもう限界で寝ることしかできなかったけど、冷静になると向こうからしたら急に一ヶ月疾走したわけなので、明後日には教授や先輩に迷惑をかけたことを謝罪しに行くつもりだ。

さいごに

『「普通がいい」という病』という本を読んだことがあるだろうか。

内容としては、抽象的なイラストとともに、ひたすらに精神科医の筆者が、精神医学とは別に、哲学や文学の知識を総動員してひたすらに心の悩みについてなにかヒントになりそうな話を書き連ねてある本となる。

その中の一節に、このようなものがあった。

ほんとうのじぶん

1から2へのプロセスは、人が成長し社会化されていく上で、どんな人も必ず通る「適応」のプロセスです。この先で、自分というものについて悩みつつもどう生きるかを模索していくことになるのですが、そこで〈本当の自分〉を発見し生かす方向に進めば4以降のプロセスに向かい、それがうまくいかなかった場合には3の状態に陥ります。  3の状態から、セラピーや本人自身の何らかの気付きによって、4のように〈本当の自分〉の勢いが盛り返し〈偽りの自分〉が徐々に押し出されていきます。そして、それが極まった時、一度5のような純化された状態になります。しかし、これは純粋だけれども周囲や社会との間で齟齬を来たします。自分は楽になったのに、社会的には生き辛くなる。この世の中が理想郷でない限り、それは避けられないことです。  そこで、一度捨てたはずの〈偽りの自分〉の中から処世術的なテクニックを拾い上げ、意図的に「適応のためのアダプター」を身にまとう必要が出てきます。それが成されたのが、6です。これは一見2や3の状態と似ているようでいて、決定的に違います。2や3は受身的に〈偽りの自分〉に侵食されたのに対して、6は主体的・意図的にそれを「適応」のためのツールとして活用しているわけで、これにより〈本当の自分〉の純粋さが、外界の汚れからしっかりと守られることになるのです。私はこれを、「したたかな二重構造」と呼んでいます

「普通がいい」という病 

ちょっと抽象的な話だけど、要は自分について悩む時、偽りの自分という外骨格を外して、一度本当の自分をすべてさらけ出してから、自分が生きていくためのものだけを選んで再構築していくという工程を経て、本当の自分を保ちながら生きていくことができるという話。

初めて読んだときは、全然何を言っているのかわからなかった。でも今ならわかる。

私はおそらく、これの5の状況にいるんだと思う。「つらい、しんどい、やりたくない。」そういう言葉がいっぱい湧いてくるけど、それだけでは生きていけない。それを痛感している。

少しずつだけど、「適応」のためのツールを身に着けて、本当の自分を保ったまま生きていける様になっているとおもう。

いっぱいしんどいことがあって、他の人にはこの辛さが全然伝わらなくて。みんなは就職とかしてる中、俺だけ一生つまづきつづけてる。それでもなにか前に進んでいるとおもえば、ちょっとは楽になってくると思いたい。



ひたすら寝込んでいて気づいたことはほかにもある。

  •  「自分のペースで生きていい」というアドバイスを間違えてた話

  • 助けてもらうためには、人に伝える能力が必須という話

このあたりのことはまた投稿するつもり。

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