この世とあの世をつなぐもの

2014年7月5日
大切な障害者運動仲間であったこびやんが
天に旅立って1年が経ちました。
1周忌の昨日、職場ではこびやんの思い出を語る会を開催。
語りたい人20人くらいが集まって、ご飯会をしました。
…とは言っても、まともに思い出を語りだしたら、
みんな泣いてしまいそうで、
ただの飲み会みたいになってた感じだけど(笑)
こびやんが亡くなったその時の介助に入っていたアテンダント君が、来てくれました。
こびやんが生きている時には、週に1度、事務所での職場介助もしてくれていた彼。
こびやんが亡くなった直後から火葬が終わるまでバタバタしてたし、
こびやんが亡くなって、定期的に事務所に来る機会もなくなり、
彼とその時のことをじっくり話す時間を持てていませんでした。
1年たって、その時のことを細々聞くのはどうかなぁ、とも思ったのですが、やっぱり彼が、あんな経験をしてもなお「介助」という仕事を続けてくれているということについて、話を聞きたくて。
「あの時のこと、聞いたらしんどい?」と尋ねたら、
「別に大丈夫です。」と言ってくれました。
彼が夜勤に入った時点で、すでにほとんど意識がないような状態だったこびやんだけど、
夜中に一瞬意識が戻ってきて、少しお水を飲んだということ、
ずっと人工呼吸器の高圧アラームが鳴り続けていて、
こびやんの意識のない中、ひたすら吸引をし続けたこと、
深夜過ぎにアラームが鳴らなくなって落ち着いてきたので、
ちょっとうたた寝をしたこと、
少したって、あまりにこびやんが静か過ぎるので目覚め、
身体に触れてみたら、もう、少し冷たくなり始めていたこと、
慌てて事務所の緊急携帯に連絡して指示を仰いだこと、
救急を呼んだら「一応」ということで蘇生を始めたが、
掛かり付け往診医も駆けつけ「もう無駄だから止めろ」と言われたこと、
そのドクターが死亡診断書を書いてくれたので、
病院搬送・解剖をしなくて済んだこと、
訪問看護師さん達が手際よくこびやんの身体を綺麗にしてくれたこと
などなど。
やっぱり、
「夜中に一度ドクターに連絡しておけば、違うことになってたんじゃないか?」と、
今でも思うそうです。
そりゃそうだよね…。
でも、病院と入院がもっとも嫌いだったこびやんにとって、
あの日、もし救急搬送されて、障害が進み限界を迎えている心臓に、
無理矢理強心剤なんかを入れられて、長い入院生活が始まる、
なんて言ったら、絶対、泣いて嫌がったんじゃないかと思うのです。
思いっきり、最期の瞬間まで生き抜いて、潔く自宅で亡くなったこびやんは、
実にこびやんらしく、
理想の終わり方を迎えた、と私は思っています。
アテンダント君が、なぜ介助の仕事を続けられているのか、聞いてみると、
「やっぱり最初は悩みました…。
でも、この仕事ほど、障害者っていう、全然違うタイプの人間の生活にどっぷりと、1対1で関われる仕事ってないんですよねー。
自分と違う環境や、考え方や、価値観や、生活様式の中に生きている、異文化な人たちと関わるの、すごく魅力を感じるんです。
昔から、友達の家に遊びにいって過ごすのが好きだった。
家の匂いも、食べてるものも全然違う。
なんか、介助の仕事も、僕にとっては、そういう魅力の延長な感じなんですかね(笑)
辞められなかった(笑)」
と。
「障害を持ちながら生きる」という異文化に関わることに、
その死に向き合う恐怖を上回る魅力を感じる、
と言ってくれたことが、私はすごくすごくうれしかったです。
そんな風に思えるようになったのは、
こびやんの生活に少しでも関われたことが、大きいんじゃないかな。
こびやん、ありがとう、だ。

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