宝石眼球


海が荒れている。

潮流がめまぐるしく変動して渦になる。ごうんごうん、音波は振動をともなって深海にまで届く。これに巻き込まれれば、知らない水域に放り出されて迷子になるか、悪くいけば、体が八つ裂きにねじられるか、だ。だから、海の生き物たちは息を潜めて地底の岩陰や昆布の群生地などに隠れて嵐が過ぎるのを待つ。

ある人魚もそんな一匹だった。しかし彼女の目に、海で出会ったことのない、真紅のルビーがひらひらと踊る太陽光のヒトカケラのようにして、落ちてきた。カラットを美しく削られた、大粒の宝石。人魚は思わず、ルビーを手につかみ、ワカメまみれにしている尾ビレをぴちっと跳ねさせた。見たことがない、奇妙なおおぶりな美しいルビー。輪っかがついているので、人魚は指を通してみた。

指に、きらきらと、紅い星屑がくっつくようになる。

人魚はまっくろい目の玉を丸くする。そして宝玉のような双眸をふるわせて、耐えがたい好奇心に全身を試された。試練にもならなかった。

地上の生物が重力に引き寄せられるように。

うら若き人魚は、ルビーを指に嵌めたまま、さらなる宝石を求めて荒れ狂う波間をめざして猛突進していった。ただちに海面から顔をだすと、人魚が目撃したものは、まっぷたつに割れた船体だった。先端に貼り付けられた木彫りの女の頭と、船尾がくっつき、竜骨も船倉もすべては二つ折りに割れている。明らかに沈没していく、地上のサルの船だ。

人魚は唖然としたが、だが、彼女の黒い目は一対の宝石がえがいた軌跡を見逃さなかった。船の破片に気をつけながら、荒れ狂う波に踊らされてもんどりうちながら、人魚はふたつ並んでいる宝石をざばぁっと海から両手ですくい上げた。

それは、顔があり、頭だった。見たこともない男の顔面。

これを両手に捕まえながら、人魚は困惑しながら両手ですくい上げた宝石を見つめる。半分、閉じられているが、それはどうやら海から見た太陽のような、オレンジがかった黄色い色をしている。虹色にきらめき、今しがた拾ったルビーとはまたちがう、有機的な神秘と魅力に満ちた宝石。しかし、これはニンゲンサルの眼球だった。

声もなく、荒波にもまれる。気づけば、人魚は男を連れて、二つ折りに折れた船に背を向けて嵐からの脱出を試みていた。両手で男の頭をひきずって、海にときどきもぐりながら、陸の男を殺さぬように注意をしながら陸を目指して遠泳ぎをやってのけた。

嵐の海域を抜ければ、随分と楽になった。

浜辺が見えてくる。人魚はほうほうのていで力尽きそうになっていたが、男を砂浜まで押し上げた。海水にぐしょぐしょの男は、それはもう、重たかった。人魚は這って自らも砂浜にあがり、そして、またも男の頬を両手ですくい上げた。

まじまじ、と、ほとんど閉じられている眼球をうかがい見る。薄っすらと先の宝石眼球が覗けた。

夕暮れと朝日を混ぜた、黄色みの強い、瞳。

人魚に衝動がわき起こる。これが、欲しい。このつぶらな瞳を抉って持ち帰りたいわ。そして、この真っ赤な石のようにして、指に嵌めておきたいわ! 人魚の手はぺたぺたと難破船から助けた男の顔を、ほっぺたを、額を、あちこちさわる。触りながら人魚は笑った。人魚もバカではないし、生き物だ。この男を殺せば瞳の輝きが失われることは経験上、知っていた。

魚の目だって、死んだあとは、半透明の濁ったゴリゴリの目玉に変色するものだ。


だから、人魚姫は彼の額にキスをした。これは私のもの、と今はまだマーキングをするにとどめた。

男が、う、うなった。人魚は身を滑らせて海へとさがり、波に乗って消えていった。残された男は、意識を取り戻すなりガフガフして海水を吐き出し、そして。

「美しい……、女性に、助けられた……ような……?」

目に残った、残像に当惑などする。人魚の欲しがった、その黄色みのある黄金色の眼球を、瞼と睫毛でパチパチと羽ばたかせながら。


これは恋か、恐ろしい人体解剖の話なのか、それともこれこそ真実、恋愛なのか。

行く末は、未知の道にあった。



END.

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