お団子は夢を見ない(たぶん)

何にでも命は宿るという。手捏ねして団子をつくり、しかし夫と娘の車が山道から転落したと電話がきて、仕事のために飛行機であとから合流する予定だった私は、結局、三重県には向かわなかった。

夫と娘は、帰ってきた。

それは中身の話だ。私にしたら、いってきまーすと金曜の夜からドライブをかねて、笑顔で出かけた2人の姿は、どこにもないも同じだった。あの笑顔とあの姿の人たちこそが私の夫と娘だった。

慌ただしい時間がすぎるとマンションの片隅は寺のように静かになった。娘のマットレスも夫の靴下も、片付けたから、私の前には何もなく、実際にも何も無かった。

乾ききった、私の目に、しかし腹に剣が突き刺さってきて耐えがたい空腹を訴える。山の彩りを見ながら食べるため、カラフルに練りあげた三色団子を詰めた、大きな弁当箱が、私の目に飛び込んだ。

開けてみると団子は、干からびていた。
乾ききっていた。

私の目は、逆に、水をもたらして、頬を伝うヒリヒリしたものを感じざるを得なかった。人魚の涙のようなものですぐ消えて乾く、その質感が今はたまらなく嫌になる。すぐに消えないで。消えないで。どこにも消えてはだめ。やめて。

だから、私は、団子を仏壇に備えた。

あれからどれだけ過ぎたか、ふしぎと団子は腐らず虫にもつかれず、乾いてちぢこまるだけで年月をともに過ごした。

私は、夢を見る。
老いた私が老人ホームに移ったとき、それはなんの食べ物ですか、と職員に聞かれた。私は粘土のおもちゃと答えた。

カラカラの干物団子は、もはや発色もなくどれも白っぽくくすんでいる。骨のような色合いになった。

私は、ようやく、そうなった団子たちを覗き込みながら、老いたシワシワの己の指先を広げながら、ああ、そうだ、死んだのだ、思い出も色褪せて私も色褪せてすべては終わることを悟った。

だから、マイホームを売って、ここにきた。

「ああ、食べ物じゃないなら。届けはいりませんから。明日香さん、お団子とかは詰まりやすいので勝手に食べてはいけませんからね。本物の団子はね」

「わかってますよええ」

私は、あれから、団子をいちども食べていない。

なにしろ団子は神様だ。
私の、夫と娘と、3人だけの神様だ。

ずっと、見守ってくれている。
くさらずに。


END.

読んでいただきありがとうございます。練習の励みにしてます。