お姉妹、オシマイ、おしまい

しまわなければ、隠さなければ。

蓮は、けもの道を駆け抜けて、ミミズ状の傷が手足どころか頬にまで熱く切り込まれても足を止めない。今すぐやらなければ、もう時間がなく、すべては「終わる」のだった。

痛みより脳の中身がじんとして熱くなる。

小さな、上半身はヒト、下半身は魚の生き物を見つけた。それは「いっしょに、うまれた」と、互いを指差していた。

人魚の姉妹だ。人魚姫だ! 蓮は、3年前の夏休みに、まだ小学生だったときに彼女たちが海辺の岩場にできた海水の溜まり場にいるところを見つけた。
それ以来、蓮と彼女たちは、ともだち。

蓮が自分の手で海に返してあげても、人魚たちはまた会おうと言い、中学生になった蓮にとっては、彼女たちは、異世界や漫画から出てきた特別な存在だ。自分だけが彼女たちに話せる許可があり、蓮を探しに誰かが来たり、通りがかったり、それだけで人魚たちは姿を隠す。雲隠れする。

蓮は自分はなによりも特別だ、少なくとも彼女たちには!

そう思うだけで、うつくしい姉妹のどちらも惜しくて大好きで、頬がゆるむ。それが日常だった。

しかし、今日から開発業者の下見がはじまると、学校からの帰り道で話をたまたま聞かされた。
話してきたのは、中学校から私立に進学した、小学校での同級生である。近辺の地主の父親を持ち、金持ち息子と名高い。

「まだ海が好きなん? レン、あそこさ、もう無くなるよ。開発するってオヤジが言うてたで」

ほかにも、何やら自慢話を聞いた気がしたが、もう忘れた。
レンは長い話をさえぎって、用事があると走り出した。けもの道への突入だ。これが海への最短ルートなのである。

傷だらけになって走り抜けた先に、白い空がぱっとひらけた。
潮の臭いがして髪が湿気る。蓮は岩場に向かって叫びながら、息継ぎをした。のどが裏返った。

「シーマイニンっっ!!」

姉妹人魚、そう蓮が呼ぶと、彼女たちは面白がる。
いっしょにうまれただけでそう呼ぶの? 変なの! と。笑って言う。

蓮と彼女たちの合言葉になった。

会いたいとき、蓮はそう呼ぶ。
姉妹人魚たちの耳はふしぎなもので、間もなく姿を現すのだった。

今日も、今回も、岩場にはもう、濡れたての美しい幼い女の子が、ふたごのように同じ顔つきの子たちが、蓮を待っていた。

蓮の説明を聞くと、姉妹はそれぞれ悲しがった。蓮も悔しかった。

「開発ッてのは、海を埋め立ててさ……。ホテルとかもこの近くに建ててくみたいなんだ」

「なら、おしまい、なの」
「ここはもうダメ?」

「……そうなる」

蓮が苦渋の面持ちでうなずく。人魚たちは、しかし、あっけらかんとして、笑った。

「レン落ち込まないで」
「レン悲しんじゃう?」

「そうならない?」

「…………」
「…………」
美しい、子どもの姿の人魚たちは、岩場に座って、2匹で蓮の左右をかためている。

ふわり、けれどぞわり、獣じみた無表情が瞳に宿り、しかし彼女ら姉妹は口元では微笑んでいた。人間をまねしている。

ややして姉妹は両側から蓮を覗き込んだ。

「ならない」
「ならない」

「ニン、ニニン……?」

蓮は、左右から寄せられる、ロイヤルブルーの瞳に、あたふたした。蓮が名付けた名前を呼ばれても今日の彼女たちは返事をしなかった。姉妹、どちらからともなく、2匹でそろえて少年ーー蓮のくちびるをふさいだ。

3人でキスをしている。

蓮は、目を仰天させているうち、のどがゴクンと奥に引っ込んだ。姉妹たちの唾液を飲んだらしいが、なにやら胃がびっくりして吐きそうになり、キスを振りほどいて後ろにのけぞった。

唾液か、なにかを口から垂らしながら咳き込む蓮の背中を、2匹の姉妹が上半身をくっつけて冷たくさせていく。海の冷たさに。

「レン、キメてるの、ニンは」
「ニニンもキメてる。レン、じゃあイコウ」

「レンはオスになるの」
「レンはオスになるの」

「レンがもう少し育ってからのつもり、だった。でもレン今の姿もカワイイ」
「このままイコウ。蓮、ニンギョのオスってどこにいるのか、わからない、前に言ってたね。ココにいるよ」

「いたんだヨ。蓮、苦しい?」

「あと少しでカワルから。蓮、がまんして。レンの声、すき。忘れないからね」

「レン、しよ。しよ」
「レン、おしまい」
「レンをしまってからじゃなきゃ、ここから離れない」

2匹の怪物は、バケモノらしい眼差しで、酷薄に肉をゴボゴボと変形させてゆがんだ魚に変形してゆく、自分たちのオスを見下ろしていた。

オスは、こうして造るのだ。

ニンギョたちのようには、長生きは、できない。

蓮は、悲鳴を上げているつもりが、声が出せなかった。声が失われた。声帯が潰れてぐちゃっと肉が圧縮されて大きなイルカ、ジュゴンのような丸ぼったいものに変わっている。

もう、二度と蓮はしゃべれない。

代わりに、ニンギョの姉妹が、しゃべった。

「しよ」
「しよ!」

蓮だったモノが、海へと、引きずり込まれていって界面は水しぶきをあげた。

ひとりの無垢な少年が、異世界、漫画、そうした異界の住民になった。
あとには濡れたての岩が残される。

水しぶきの跡は、十数分のちに、流れて乾いて、消えていく。


END.

読んでいただきありがとうございます。練習の励みにしてます。