エイプリルの遺児

嘘つきばかりを残してエイプリルフールが去った。

現代日本の法律では、『嘘をつく』ことを規定するものは無い。うそをつく、毎日のように息をするのと同じくらいに虚実を述べる、それは法的にはまったく問題なき行為だ。

法を破ることにはならない。けれど、破り、破られて、個々人が怒るか否かは、それぞれの蓄積された人格によるだろう。
一瞬の嘘で、友人を失う、信頼を喪う、もう戻っては来なくなる。

そうした後遺症を多発させてエイプリルフールは去ってゆく。うそは、自己責任なのだ。うそは、ついた側の、自己責任なのだ。

つかれた側がどう思おうが、それによって嘘つきをどう捉え直そうが。
すべてのうそは自己責任とみなされる。

あんまり、うそ、つかないでね。

エイプリルフールが来ると憂鬱な気分に浸る女もいる。うそは嫌いなのだ。彼女の周りにはうそつきが多かった。進学校。大学受験の終わり。卒業。さよならした友達たちは、みんな志望校に合格したと言った。

けれど、今朝、そのうちの一人が着慣れなさそうな真新しいスーツを着て、駅の階段をあがる姿を見つけた。ああ、あちらは、社会人の春になったのね。そうだったのね。

桜は、早咲きになってきて、もう4月1日には散るようになぜか移り変わってしまった。

なぜか、エイプリルフールのうそは、本当になってしまった。エイプリルフールなのに真実を見るなんて、イヤな朝だ、女は思う。

そして、第3志望校の、埼玉の大学に向けて、身をひるがえした。
エイプリルフールは残酷だ。

なぜか、4月の1日目だから。


END.

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