手のかからない生き者

死なない、寿命がない、細胞死がない。およそ次元ちがいのスケールの命である。なにせ、この世界では、星や銀河にすら寿命が決まっているのだから。

伝説に謳われる人魚なる種族はしかし、二種類の分派にわかれていた。

ひとつ。うつくしい、美女やら美少女やらの類まれなる絶世の美躯をもつ者。

もうひとつ。みにくく、醜女であり、腐りかけてたり悪霊じみてたり悪辣たる者。

分派は、永遠の命を甘受して喜ぶか、拒絶して絶望するかが別れ道の一歩目になる。楽園に棲むか、地獄に棲むか。すべてはスケール異常の命の気分次第で気の向くままのワガママであるが、永遠が約束されているから、絶対なる不可逆の一歩目であった。

心を楽園にやった者はいついつまでもうつくしく、また穏やかである。
心を地獄にやった者はいついつまでも悲しく、また不穏である。

前者は精霊のように自らの命以外の者を祝福する。すべて死ぬのだから皆に等しく優しくできる。天女ともまちがわれる。天真爛漫な彼女たちは、必然として美しくなる。

後者は悪鬼のように自らの命以外の者も自らすらも害する。すべて無駄なのだから自暴自棄になっており生命そのものを憎んでいた。セイレーン、悪魔にまちがわれる。悪辣非道な彼女たちは、必然として醜くなる。

好きに生きて遊ぶ、あるいは暴れて殺す、どちらも不死の命であって無限の回廊を永遠にただよう者たちだ。神に永久の祝福を与えられた者たちだ。

あるいは、見捨てられた、者たちだ。

銀河すらも彼女たちを見捨てている。だから、彼女たちは、天女になるか悪魔になるかの別れ道を必ず選ぶときが来るのである。

永遠と無限を喜べるか、悲嘆するか?
いずれにせよ気が狂っている。それは必定であった。しかしスケールがちがいすぎるから、心情など、たまゆらの揺らぎである。

神にも銀河にも宇宙にもすべてに見放された命、人魚たち。すべてに解放された命、人魚たち。災害にもなる、女神にもなる、分岐をもつ命たち。

次元や世界や命は際限なく複雑怪奇である。

だから、実のところ、死なない命の彼女たちは単純でもあった。まったく手のかからない子どもである。
たまには、こういう廃棄物みたいなものも出して、次元世界は廻る。プログラミングのエラーがごとく。

人魚たちの心は、置き去りにされるばかりだから、やっぱり彼女たちは分岐点を必ず踏んでゆくのだけれど。
世界の何者かは必ず彼女たちをうらやむという。永遠の命。うつくしく、みにくい、エラーの結晶。酸っぱい葡萄であった。

彼女たちは、善なる歌か、呪い歌か、どちらかを今日も地球の海のどこかで歌う。


END.

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