明日が来ない

さる大皇帝の一人娘はその晩、皇帝と料理長と3人きりの暗い厨房に呼ばれた。白髭を口の下にはやした料理人が、青い布袋につつまれているそれを、未だに信じられない、という顔で見下ろした。

「手筈通りにやれ。ヌシの一族郎党、面倒を看てやる」

皇帝直属のご命令とあって、男の額におおつぶの汗がにじむ。薄氷が張り巡らされた、異様な緊張感が厨房にみなぎっていた。一人娘は就寝しようとしたところで、寝間着姿で、躊躇いがちに父親に尋ねた。
父親は、皇帝の仮面をちょっと置いて、「心配するな」と言う。「儂とちょっとした夜食を食う。それでいいんじゃ」

「……はい、お父様」

考えるのを放棄するなど、いつものことだ。娘の決定権のすべては父にあった。
だから、今回も同様に、ただ首肯した。

夜食は、奇妙なことに、肉料理と魚料理の2種類、しかも素材はどちらもおなじで味付けに変化こそあるが、妙にえぐみのある肉と魚。メインディッシュだけがなぜだか皿に並べられる。銀製のナイフとフォークをもちいて丁寧に皇帝と一人娘がたいらげる。
そばに控える、宮廷お抱えの料理長は、真っ青な顔色になって、具合がわるそうに自分の体のどこかを触っている。腕やら、肩などを。

――――そんなように、主体性なく得られた『それ』は劇的な効果を発揮した。それは歳を経るごとに克明に浮き彫りされていった。一人娘はああ、そうか、と10年もしてから理解した。あのとき、食べた肉は、なにやら……、寿命がのびる類いのもので不吉なものだった。流行病がまんえんし帝国中の人間がどんな地位の者だろうと病に伏して倒れる。そんななか、皇帝と、その一人娘だけはちがう世界にいるように無事だった。平和だった。平和は永く続き、それは、帝国が隣国に攻め滅ぼされた夜でも。

「お父様、逃げましょう!」
「おお、おお、これが人魚の肉のちからか」

火に焼かれながら父が歓喜の舞いを踊る。一人娘は気が狂ったのかしらと思ったが、亡命せねばならないので父を消火して身支度をさせた。

火を放たれて、城下町がほうぼうに燃えている。
黒ずんだもともと人間であったものが道ばたに転がっている。濃密な、密集する、残酷な死の匂い。強烈な焼ける臭い。酸鼻なありさまに鼻をしかめるが、だが、一人娘もこれは他人事のように感じられた。

このとき、違和感がするりとほつれて胸をくぐり、一人娘にそうと直感させる。


(――ああ。――あたし、明日が、来てないんだわ)


あの、夜。
あのよくわからない夜食晩餐会の夜を経て。

寝ても覚めようが、明日が来たという実感は失われて、常に『1日』を生きている気分がしている。
帝国に病がまんえんして、攻め滅ぼされて、悠に30年は経過しているはずなのに、父も娘もあのときと変わらない。体も、こころも。

それが、不老不死になるということだと、火に追われながら、まったく危機感を抱かずにいられる肌身の感覚を思い知ってようやく、彼女は実感するのだった。
これは、恐ろしい話なのである。




END.

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