バッジを貼った人間

愛されている自信がある。私のだいすきな猫のチアちゃん。でもチアは、家族みんなと仲がいいから、私は本当はどのくらいにチアちゃんに愛されてるか気になってしまう。

友達に言ったら
「カレカノじゃあるまいし」
「病んでるよ〜それ!」
だ、そう。いわゆる重いカノジョの思考らしい。

普通なことじゃないのか?
皆、愛してるだいすきなものに、愛されてるってお返しのバッジを貼って欲しくないの?

今度は保健の先生相談したら、
「自己肯定感が低いのねぇ。少しずつ、自分褒めてあげたらどうかなぁ?」
だ、そう。私にはとんちんかんなアホな答えに聞こえた。質問に答えず、はぐらかされた!

大人ってそう。
友達を名乗る子たちだってそう。

猫のチアは、そういうのがない。言葉はしゃべらないから。しゃべれたら、こんなに大好きになっているのかな? もっとちがう存在になっている?

あるいはすぐに「世界でいちばん大好き!」って答えてもらえて、私は、安心感のバッジを胸に貼れるんだろうか。
ニンゲンのくれるバッジじゃダメ。ニンゲンのほか、嘘の少ないナニかからのバッジがいい。愛されてるって実感できるから。

言葉が欲しいのじゃない。
私は、バッジが欲しいの。

『この子は愛されています』って、誰にでも理解ってもらえる、確かなバッジ。
それだけが、欲しい。


END.

読んでいただきありがとうございます。練習の励みにしてます。