カエル声の醜さはなぜ

カエルにマーメイドと名前をつけた。ゲコゲコと鳴く、その歌声が醜いからだ。

歌はきらいだ。
合唱団のコンクールはもっと嫌いだ。

皆で手をつないでゴール、そんなふうに賞を与えてくれるが、皆、それがビリの旗とわかっている。本当のゴールはひとつきりなのにビリにまで、名前をつけて賞を与えて、大人はいい顔をしている。これぞ子どものため、大義名分を掲げながら。

間違っている。
子どもを舐めんなよ。

ビリッけつに変な賞がくっついているから、外の世界から、例えば海のなかを陸人は知らないように、外からは褒められる。
ビリなのに。皆がもらえるポケットティッシュ、参加賞なだけ。それを大人は親切な顔で配って勝手に子どものためにと話す。

どこがだよ、バカ。
みじめだわ、アホ。

帰り道、夕焼けの道端でゲコゲコしているカエルをぼう、と見てて、ふつふつした怒りが頭のなかに泡を生んだ。

こんな声でも、でも、だけれども、カエルらしくて、嫌いではなかった。個性があって魅力を感じる。

ただ、コンクール、合唱団コンクールでは個性なんていらなかった。
ふつふつした泡が、頭を沸かした。

カエルを踏みたい、衝動が走る。

けれど、だが、そんなこと、しない。
するワケがなかった。

自分たちは、仲間だからだ。げこげこ、ヘタでも醜くても歌う。仲間だからだ。
そういう生き物、なのだから。


END.

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