今年は散り桜ですね

散り桜なる名称を全世代が周知するころ、桜は合格発表の日ごろに満開になるようになった。地球温暖化、氷河期の前触れ、惑星回転軸の変化、さまざまな説が語られている。しかし惑星からすれば人間のゾロゾロした蠢きなんてノミにすらならぬ、塵芥だろう。人間には知る由がない。

わかるのは、四季がずれたこと。
わかるのは、桜は入学式に春爛漫を知らせる風物詩ではなくなって、卒業式にて緑を芽吹かせ、合格発表の時期には、その年月によって満開か、散り桜か、どちらかになった、こと。残念がるひともいれば嬉しがるものも。

合格発表の日に、その境は顕著となる。
受かった者は満開の桜を味わって楽しんで春爛漫。
受からなかった者は、散り桜ならば喜んで、涙をつつつと頬に垂らすのだ。春爛漫。満開の桜なら、これでも涙を浮かべた。

桜はお祝いのシンボルではなくなっていった。花占いのように、学生たちは、桜のニュースを見るように。私の、俺の、合格発表の日は、満開桜か? 散り桜か?

昭和や平成を生きる者たちにすると、若者たちにとっての桜の扱いは、ときに憤慨するに値する。落第生などが散り桜を蹴って枝を折る、桜を傷める、そんな話はよく聞くようになった。

惑星ら季節をも変える。永遠の命、永久に変わらぬものなどない、それを人間に突きつけた。

日本人にとっては、非常につらい、桜の変わりようである。入学式にたまに桜が満開になるなどすると、奇跡、と、もてはやされるようになっていた。

奇跡はめったには起こらない。
満開の桜の下での入学式の写真を見て、若者たちは、なんでこんな合成写真にするの? そんな質問をする。

「なんでなんだろうね……」

その母は、幼稚園児の娘の質問に、遠くを見つめながら呟いた。
娘が大人になったとき。老婆になったとき。地球は、まだ、ここに残っているのかしら。

人類の住める、地球は!


END.

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