イライラを遡ると「過度な期待」があった
どれぐらい人に「期待」ってするだろう?
会ったら挨拶する”べき”
話を聞くときはスマホを見ない”べき”
一度伝えたら覚える”べき”
人それぞれの”すべき”期待があると思う。
「期待」って必要なのかな…そんな話。
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数日の間に「人に期待する弊害」についての発信が自然と何個も目に入った。短期間に意図せず入っている情報って有益なことが多いのでニンヤリ。
ツイッターでフォローしている川口さんのツイートに本質があった。
まさに書いてある通りだと思う。
感情的になるときを振り返ってみたけど大抵「期待」をしている。
みなさんはどうです?
この前はアルバイトさんの行動にイライラしてしまった。
教室前のポストに投函することを伝えたのにも関わらず、普通のポストに投函して、必要な書類の提出が遅れてしまった。
教室前と強調して伝えたのにも関わらず、
期日を伝えていたのにも関わらず、
なぜそんな行動をとれるんだろう。。。
イライラ、、
でもこの裏には、
必要な情報は「強調して」「事情を説明して」いれば理解・行動してもらえるという期待があった。
(勝手に抱いていた)期待を裏切られてイラっとしてしまったのだ。
おそらく相手に悪意は全くない。
こんな些細なやり取り。日常にたくさん潜んでいる。
満員電車で押されてイライラ…人に迷惑をかけないように立つべき
挨拶がなくてイライラ…会ったら挨拶すべき
家族が洗い物をしてくれなくイライラ…食事した人が洗うべき
毎日の暮らしには数えきれない”べき”があった。
この期待を捨てられたときに、イライラから解放されるのだろう。
また、人と建設的なやりとりができるのだろう。
※ちなみに期待しないとは興味を持たない・信頼しないわけでない。
人へ気持ちを寄せること大切よ。
教育の分野では、
「ピグマリオン効果」という、人は期待された通りの成果をだす傾向にある心理的効果が有名だ。これは期待ってより信頼にあたるものだと思う。
「~してくれるだろう(期待)」と「結果がどうであろうと信じる(信頼)」
こんな違いだろうか。
今日から「期待」しない日々を送ることに決めた。
イライラがやってきたときには、何の期待があったのか。
これを繰り返す。
それだけで、
もっと毎日が感情に支配されることなく、
暮らしやすくなるに違いない。
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