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今週の2冊 育児は育自というけれど~嫌われる勇気

育児のストレス減を狙い、アドラー心理学×育児の本を読み始めました。
で、大本のアドラー心理学って結局どういうものなんだろうと思い
こちらを読んでみました。

この本では「哲人」と「青年」の二人しか登場しません。
ひねくれモノで自称トラウマを抱える青年が、
アドラー心理学の専門(?)たる哲人に議論をぶっかけるお話です。

まあこの青年がしつこいしつこい!!!
哲人を跪かせる!と息巻いて、ひたすら反論をぶつけます。
その1つ1つに丁寧に答える哲人との対話から
アドラー心理学のなんたるかが見えてくるような気がします。
ありがとう、青年。

この中で育児&夫婦関係でこれは大事だなと思ったところを記録していきます。

褒めない・叱らない

アドラー心理学では「褒めないし、叱らない」ということを提唱しています。
褒める、とは能力がある人から能力がない人に下す「評価」である、と。
その目的には「人を操作する」というものがあり
背景には「対人関係を縦で見ている」というものがある。

確かに褒められて育つと、
最初は認められて嬉しい!→もっと頑張ろうと思って行動するんだろうけど
そのうち褒められるために頑張る風になってしまいそう。

私の周りにも、いわゆる「いいこ」で育って、
大人になって苦労している人が少なからずいるけれど
それに近いのかもしれない。

親や先生の期待に応えたくて=褒められたくて
生きてきたのなら、それはアドラーがいうところの「他者の人生を生きている」ことになる。

じゃあ、どうすればいいのか。

アドラーは「他者に貢献している体感が大事」と言います。
その根底には親子であろうが「横の対人関係」、
子どもを人間として対等に見ることだ大事だとのこと。

例えば、子どもがお手伝いをしてくれたとき、
「えらいね」というのは褒めている。
そうではなく、「ありがとう」「助かったよ」と言う。

人が自分の価値を感じるのは、他者に貢献できたと実感できたときらしい。
なので、「あなたの行動に助けられたよ」ということは
褒める以上に良いものをもたらすんだろうな…。

他者の課題と自分の課題

これは自分はできていなかった気がします。

例えば、子どもが勉強をしないとして、その結果を受けるのは親ではなく子どもです。
なので「勉強しなさい!!」と言ってしまいがちなのが親の心理。

しかしこれはアドラーが言うには「子どもの課題」であって、親が介入すべきではないらしい。
勉強しなさい!と強制的に勉強させたり塾に入れたりしたとて
子どもが勉強を「自分から」するとは限らない。
むしろ嫌いになるかもしれない。

勉強しないのは子どもの課題であり、ヤキモキするのは親の課題である。

こう切り分けて介入せずに対話をすることが大事らしい。

こういう場合は、子どもに勉強しなかった場合の結果を伝えたうえで
「勉強する気持ちになったら、いつでも援助する」と話すのが良いらしい。

エジプトかどっかに「ラクダを水辺まで連れていくことはできても、水を飲ませることはできない」ということわざがあるが
それと同じようなこと。
決して無理強いさせてはいけない。

うーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。

これね、娘にはしてないけど、夫にはしてたかも知れない…

今の職場に不満タラタラで、辞めたいと何度も言っている夫。
辞めりゃいいし、そのために私は働いているのに
変えようとも変わろうともしない。(夫の課題)
そんな夫に私はヤキモキし(私の課題)
転職エージェントに登録したのか、いつするのか、ていうかいつから転職活動するのか35歳限界説を知っているのかなどなど…

これ、完全に操作したいからになっていますよね…
私がやればやるほど動かなくなった気がします…こういうことか…?

自分は他者を満足させるために生きているわけではない
そして他者も自分を満足させるために生きているわけではない。

きっと私は夫が行動することで、自分が満足したかったのかもしれません。

ごめん、夫。

これと同じことを、娘にはしてはいけないな…と強く思ったのでした。

まとめ~子育ての前に

子育てに特化したアドラー心理学を実践する前に
もっと大本のことを知れたのは良かったと思います。

自分自身がどう生きているかを鑑みることなく
育児だけうまくやろうと思っても、そりゃダメなわけで。
基本ができてないのに、応用をしようとしてたわけで。

まずはこの本にある内容を実践して
シンプルにストレスフリーを意識して、生活したいと思います。

それでは!





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