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勉強の時間  自分を知る試み25




機能以前の意識


近代的な機能からの説明でなく、原初の人間の意識を想像してみることは可能でしょうか。たとえば原初の言葉はどんなものだったのでしょう?

それは食料になる動物や植物の名前とか、それが「うまい」とか「いい」とか、「よくない」といった状態を表す言葉だったでしょうか?

そういう言葉は目の前の現実、ものごとに対応しています。
ある意味、機能的な言葉です。

しかし、原初の人間にとって、ものごとは動植物とか山とか岩とか林とか川とか海といった現実世界のものばかりではなかったでしょう。

むしろそれらの中にいる精霊や、空や大地に現れる天候や火山、洪水といった天変地異の背後にいる神々といったものの方が彼らにとって大きな意味を持っていたかもしれません。

彼らは現代人のようにものごとそれ自体を理性的に合理的に科学的に認識したりはしなかったでしょう。むしろ精霊や神々、鬼、悪魔といったものを通してそうしたものごとを理解していたでしょう。

それは現代人にとってのそれと違い、とても現実的なものでした。



あらかじめ共有されていた意識


しかも、それらは集団によって共有されていました。そういう現代から見て架空のものごとが、原初からあらかじめ共有されていたことはとても重要です。

あらかじめ共有されているものによって思考することで、当時の人間は議論とか説得といったことを介さずに、集団としての合意形成ができたのでしょう。

言葉も誰か1人が発明して、集団のメンバーに教えたのではなく、集団の中であらかじめ共有されるものとして、言葉のやりとりの中から生まれ、発展したのでしょう。精霊や神々や鬼や悪魔も、あらかじめ共有されることで生まれ、信仰として体系化されていったのでしょう。

原初の集団には呪術師がいて、指導的な役割を果たしていたようです。

しかし、それは呪術師が精霊や神々や鬼や悪魔を発明して、他のメンバーに教えたということではなく、集団にもともと共有されていたそれらの存在と、うまく交信できる者として、それらの意図を伝えたり、それらの意図に沿った行動を示したりしていたということだったのでしょう。

つまり、原初の人々の意識は、集団で共有されることで生まれ、はたらいていたということです。

定住や農耕・牧畜が始まり、いわゆる古代の集落から都市が生まれ、都市国家へと発展していく過程で、集団も大規模になり、王や貴族、神官、民といった身分が生まれましたが、集団としてものごとを意識し、考え、行動することは、そんなに変わらなかったでしょう。

国家のような大規模集団では、個人の利害対立もあったようですし、それを裁くための法律もできたようです。有名なのがバビロニア王国のハンムラビ法典で、紀元前19世紀くらいです。古代ギリシャでいろんな学問や芸術が花開き、限定的ではあっても一応民主制が試みられ、言葉の文法に能動態が生まれ、個人の権利や責任が意識されるようになったのは、それから1200年くらい後です。



集合的な意識に関する記録


国家が形成され、支配の仕組みや文化ができあがった古代でも、大多数の民にとっての世界は相変わらず、集団として考え行動する世界、精霊や神々や鬼や悪魔がそこら中にいる世界だったでしょう。

イタリアの民俗学的な研究では、中世末期、近代の黎明期でも、キリスト教の支配とは別に、農民たちの間で古代からの信仰が生き残っていたという報告があります。

一般人が読めるものとしては、カルロ・ギンズブルクの『ベナンダンティ 16-17世紀における悪魔崇拝と農耕儀礼』という本があります。

この事例からは、原初の人類の意識が、自然や精霊・神々といった超自然的な存在をどのように共有していたかを窺い知ることができます。


『ベナンダンティ 16-17世紀における悪魔崇拝と農耕儀礼』
カルロ・ギンズブルク 竹山博英訳 せりか書房


16〜17世紀の北イタリアで行われたカトリック教会の異端審問で、ある村の伝統的な宗教儀礼を行なっていた集団が告発されたという事件がありました。

告発の内容は、悪魔と交信するベナンダンティという魔術師たちが、夜中に異教的な儀式を行っていて、箒にまたがって空を飛んでいるというものでした。

カトリック教会が支配する当時のイタリアでは、悪魔と交信する儀式は異端的な行為で、場合によっては死罪に値します。



悪魔と戦う魔術師


しかし、よくよく調べてみると、ベナンダンティたちは実際に外で魔術の集会を開くのではなく、伝統的に決められた夜、眠っている間に夢を見て、その夢の中で空を飛び、マランダンティと呼ばれる悪魔と戦うのだということがわかってきました。

つまりベナンダンティは悪魔に仕える魔術師ではなく、農民のために戦う正義の味方だということです。少なくともベナンダンティたちは異端審問でそう主張しました。

さらに、ベナンダンティは複数いて、全員が同じ夜に同じ夢を見ること、空を飛ぶときにまたがっているのは箒ではなく麦の穂であること、マランダンティと戦って勝つと、豊作になり、負けると凶作になることがわかってきました。

ベナンダンティは誰でもなれるものではなく、先輩がある年齢に達した少年たちの中から新しい仲間を指名する、ベナンダンティはカトリック教会の教えを信じ、敬虔な信者として暮らしているといったことも明らかになりました。



成立しなかった異端裁判


民俗学や土俗的な信仰に関する研究が進んだ現代からみると、これは明らかにキリスト教以前から農耕民の間で行われていた伝統行事だということがわかります。

この風習は、イタリアがオーストリア、スロベニアと国境を接するフリウーリ州の色々な村で行われていたようで、それらの村の事例が何十年下のうちに次々と異端審問裁判所で取り上げられました。

16〜17世紀のイタリアといえばルネサンス、続いてバロック文化が花開いた時代ですが、当時はまだカトリック教会が精神的な領域を支配していたので、カトリックの立場からすると、こうした伝統行事も異端として裁かれることがあったようです。

しかし、ベナンダンティたちや一般の村人たちにいくら話を聞いても、当時のカトリック教会で理解できるものではなく、かといって彼らが想定している悪魔の祭祀や魔術の定義にも合致しないので、よく魔女裁判のイメージにあるような拷問も死刑もないまま、教会側や一般社会の関心が薄れていき、忘れ去られていきました。



共有される「体験」「事実」


このベナンダンティで興味深いのは、信仰が共有されている状態では、同じ夜の就寝中、複数の人間に同じ夢を見るといったことが起きるということです。

他の研究では、20世紀のスリランカで、呪術師による悪魔祓いで病気が治るという事例が報告されています。

これは魔術による超常現象でしょうか?

たぶん違うでしょう。

呪術の信仰が共有されている状態では、その信仰によって決められている手順を踏むと、信徒たちの心に作用して、信仰で約束されている現象が、彼らのあいだで起きる、あるいは起きるという夢、幻想を体験するということなのでしょう。

それは外側の人間から見れば、信徒たちの幻覚ですし、それを起こす術はまやかし、インチキということになりますが、信徒たちにとっては、そうした信仰による体験こそが現実世界の重要な部分を構成しているのです。

よく「病は気から」と言いますし、現代医学も病人の気持ちが病気の治癒や悪化に影響を及ぼすことを認めていますから、伝統的な呪術である程度症状が改善されることはあったかもしれません。

新約聖書には、病人を治したり、水上を歩いたり、少ない食料を増やして大集団の胃袋を満たしたり、悪霊を追い払ったり等々、キリストが起こした奇跡が色々出てきますが、これも作者たちの創作や誇張的な脚色によるものかもしれないと同時に、気の持ちようや強い信仰心による作用が働いて起きたことが、こうした伝説の素材になっている可能性もあります。

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