見出し画像

勉強の時間 人類史まとめ10

『世界史の構造』柄谷行人4


幕末に生まれた近代日本の構造


外国船の出現はこのマインドに新たなショックを与えました。そのショックはアメリカのいわゆる黒船が江戸湾に侵入し、大砲で威嚇し、江戸幕府に開国を迫ったとき、国全体を巻き込む大混乱に発展します。

幕府は交換様式Bのトップである朝廷にお伺いを立てますが、このとき天皇は攘夷つまり外国を打ち払えと命じます。しかし、幕府は内部でいろいろもめながら、結局アメリカと友好条約、通商条約を結んでしまいます。

欧米の先進国と交流して先進技術を導入したり、経済を振興したりした明治維新以後の展開を知っているわれわれは、このときの幕府の選択をそんなにまちがっていないんじゃないかと受け取ることもできますが、幕末の時代はそうではなかったようです。

元々国家という交換様式Bの主権者は、形式的であっても一応朝廷の天皇ですから、天皇が「外国人を打ち払え」と言っているのに、幕府が独断で国交を樹立するのは越権行為です。

当時の人々には外国勢力を武力で追い払えず、開国してしまった幕府のやり方を裏切りであり弱々しいと感じた人が多かったようです。この外国に弱腰な幕府の対応は、この政権が末期症状にあることのあらわれだと感じる人たちも出てきました。

そういう人たちの多くは幕藩体制に不満を持っている地方の武士たちです。彼らは朝廷の「攘夷」という方針に共感し、幕府を倒そうとするようになります。

もともと江戸時代後半の閉塞感は、鎖国や幕藩体制の硬直した組織・規制による経済の行き詰まりから来ているので、その意味でも幕府の開国はそんなにまちがってはいなかった気がしますが、国民感情というのはそういう理性では制御できないものらしく、制度疲労した幕府は倒され、天皇を頂点とする交換様式Bの明治政府、近代国家としての日本が誕生します。

最初は「尊皇攘夷」だったはずの勤王の志士たちも、幕末の動乱期に海外留学したりして見聞を広げ、明治政府の要人になったときには外国からの技術導入による経済発展という大方針を掲げるようになっていました。

イギリスやフランスなどヨーロッパの先進国は、このときすでに交換様式Cの経済原理で国や社会を動かす資本主義の近代国家になっていました。

先進国では交換様式Bの絶対王政で交換様式Cの経済を育成し、成長したCがBを呑み込み、国家の仕組みになったのですが、日本ではBは長い間単なる文化的・象徴的存在でしたし、Cは島国の閉鎖空間で成長が止まっていたので、近代国家の仕組みとして機能するのは不可能でした。

そこで、地方分権型で統一的な近代化が遅れたヨーロッパのドイツを模範ケースとして、交換様式Bによる遅ればせながらの絶対王政的な政権を建て、その下で発展が遅れた交換様式Cを育成することにしたわけです。


国家も経済も支配する日本の交換様式A


ところで交換様式Aはどうなったんでしょう?

武士の親分子分的なつながりは、制度としてなくなったものの、政治や経済のいたるところに残りました。

『世界史の構造』の図式によればBが国家、Aが国民、Cが資本なので、交換様式Aは日本という近代国家の国民生活の中に、いろんな贈答やおつきあいによる貸し借り、そこから生まれるリーダーシップみたいなものとして生きているということになるんでしょう。

しかし、政治家の世界も「ムラ社会」と言われます。戦後から現在まで続く自民党の派閥は、政治的な思想・信念を共有する議員の集まりのはずですが、実際には派閥に入ってくれたら党や閣僚のポストに就きやすいとか、おれを支持してくれたらこのポストをやるといった、権力を巡る互酬関係の集団として機能しています。

地方にも地方の親分子分的な関係がありますし、役人と政治家のあいだにもありますし、企業にもあります。

つまり交換様式BやCの国家体制の中で、Aが機能しているわけです。日本の交換様式BやCはあくまで建前で、肝心なところはAが牛耳っていると言えるかもしれません。それが戦後長いこと、自民党がほとんど政権を独占してきた理由なのかもしれません。

野党の方が社会や経済の問題をリアルに考えているのに選挙でほとんど勝てないのは、選挙民の交換様式Aの価値観が、自民党の交換様式Aと相性がいいからなのではないかという気もします。

武士の交換様式Aが長いこと朝廷の交換様式Bを建前上掲げながら、交換様式Cを支配し、日本という国をあいまいなかたちで運営してきたように、明治政府も昭和の自民党政権も天皇を祭り上げて交換様式Bの国家をオフィシャルに運営しているふりをしながら、内実は古い交換様式Aで交換様式Cの社会・経済を牛耳っている。

交換様式Aの国民はそれではいかんと思う部分もありつつ、なんとなく居心地がいいので結局自民党を容認してしまう。

平成の一時期、社会党や民主党が政権をとったことがありましたが、交換様式Aで官僚や経済界とつながっていないので、政府のミスや欠点をマスメディアにつつかれ、国民の交換様式A的感情で「やっぱり野党はだめだ」ということになり、すぐに自民党が政権を取り戻していました。

製造業を主体とした日本経済は構造的に古くなっていて、もう30年も地盤沈下を続けていると言われていますが、これではまずいと多くの人が感じていながら、国家や経済・社会の構造を根本から変える政党も官僚も企業も出てきません。

交換様式Aの根強さがあるかぎり、変えることは難しいのかもしれません。

変わる可能性があるとすれば日本経済がもっと徹底的にだめになって、国が大混乱に陥ったときかもしれませんが、そうなると交換様式Aの国民感情が暴走して、昭和の軍国主義とかドイツのナチスみたいなのが権力を握って戦争が起き、ものすごい数の人が死ぬことになる危険があるでしょう。

先に触れたように、柄谷行人は『世界史の構造』の中で、こうした日本の特殊事情には触れていません。彼の視野にあるのはもっと普遍的な国家と国民と経済のあり方が、交換様式ABCによってどう変化してきたかであり、経済・資本の本質的な問題を国家・政治の問題と関連づけながら、どういう解決策があるのかということです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?