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ショートショート「夢」

その朝、男は悲鳴を上げて飛び起きた。
「… 夢か 」

気付けば汗だくだ。
時計を見る。まだ6時だが、窓からは陽が差し始めている。
男は少し錯乱した。

「… いや、本当に、夢か?」

異常にリアルな映像だったから。それに、あの音。鼓膜を破るかのような爆音。
男の見た夢は、こうだ。

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満員の飛行機が、もうすぐ着陸するその瞬間、蹴つまずいたようにひどく姿勢を崩す。
着陸失敗。
耳をつんざく爆発。

狂ったように向きを変え、滑走路から外れ、傾き、翼を地面に突き立て、最後には真っぷたつに割れた機体から、何度も吹き出す火柱。
乗客の悲鳴。
油の焼ける匂い。凄惨な光景…

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事故の様子をリアルタイムで伝えるニュースのような映像。

夢だから、目が覚めてしまえば、ところどころ、曖昧な部分はある。

が、一瞬画面に映った到着ロビーの表示盤に、「815」「NRB」という文字が見えた。
とすれば、あの飛行機は、8:15成羽(なりば)空港着の予定であるらしい。
しかも、何と、今日の、である。

頭の中のモヤモヤはやがて、しっかりと固い手触りの、形のあるものに姿を変えた。
"義務感"だ。
「何とかしないと」

男が単なる夢だと見過ごせないのには、理由があった。

最近、実際に起こるのだ … 夢で見たことが。

少し前から飲みはじめた不整脈の薬のせいで眠りが浅いのか、夢自体をよく見るようになった。
最初は、些細な内容だった。
手を滑らせて食器を割るとか、電車が遅れて会社に遅刻するとか、しかしついさっき夢で見たこうしたことが、本当に起こる。
何度もだ。

さらに、夢に見る内容が日を追って、重大になってきているような気がしていた。

予知夢など、少し前まではつゆほども信じたことがなかったが、しかし今度ばかりは事情が違う。多くの人の命が掛かっているのだから。ついに、人の生死に関わるような夢を見てしまったのだ。

しかし、この義務感とて、今、頭に浮かんだばかりの行動計画を実行に移す動機としては、まだ足りない。

… これだけ多くの人を救うことができれば、それは英雄だ。
ハッキリそう思ったわけではないが、何の取り柄もない中年男の心中に、そういう類の願望が芽生えた … のかもしれない。

しかしほかに、決定的な理由があった。

男の住む部屋はたまたま、成羽空港のほど近くだったのだ。
車を飛ばせば、充分、着陸時間に間に合う。

どころか、すぐに出発すれば、見落としている故障がないか上空で調べてもらうとか、他の空港に目的地を変更させるとか、何らかの対策を取ってもらう余裕すらある。
誰に、どう訴えれば良いのかわからないが、とにかく行かなければ。

男はズボンを履き替え、ジャケットを羽織って車に飛び乗った。
焦ってはいたが、パジャマのままで、「飛行機が事故を起こすぞ。着陸させるな」なんて訴えても、相手にされない。そんなことを考えるくらいの余裕が、まだ残っていた。

車を飛ばした。
男の人生を象徴するような、何の変哲もない黒い乗用車。これまでやったことがないくらいに、ムチを当て、追い立てた。
焦る。また、汗だくだ。ハンドルが滑るくらいに。
しかし、途中で事故でも起こせば元も子もない。
慎重に… だが早く、早く伝えねば。
よし、もうすぐ着く。まだ7:00になっていない。
着陸まで1時間以上もある。

男は必死だった。この夢だけは、本当に起こってはならない。絶対に止めなければ。

道の突き当たりに、空港を隔てるフェンスが見えてきた。

あの角を曲がれば、もうターミナル棟への入口だ。そこでとにかく誰か、空港職員をつかまえねば。

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突然、気を失い、ガクンとハンドルに突っ伏す男。

意思をなくした右足が、アクセルを踏み込む。

心臓発作だった。

車はみるみる加速して、突き当たりのフェンスに近づく。

金属と金属とが衝突する金切り音。

フェンスを突き破ってなお、車の勢いは落ちない。

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そのとき、成羽空港にアプローチしてくる飛行機があった。

到着時刻は、予定通りの6:58。
グローバル航空 815便 …

タイヤが地面に着いたその瞬間、乗客らは大きな、そして異常な衝撃を感じた。

その一瞬前、機長が最後に窓から見たのは、狂ったように飛び出てきた、何の変哲もない、しかし滑走路のど真ん中という、危険極まりない場所に居てはならないはずの、黒い乗用車の姿だった。

満員の飛行機が、蹴つまずいたようにひどく姿勢を崩す。
着陸失敗。
耳をつんざく爆発

狂ったように向きを変え、滑走路から外れ、傾き、翼を地面に突き立て、… 

(終)

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