「その仕事(指導)は、誰のどんな問題を解決するためのものか?」                          ~私の働き方改革 10年~15年編①~

10年目から15年目は、へき地勤務も経験した期間でもある。                 離島のへき地に行くと、様々な行事に教職員が関わることになる。                    

地区の定例会(定例会後は飲み会)はもちろん、大漁祭、島民体育大会、長唄大会、バレーボール大会、平日の飲み会など、地域の行事に参加し、地域の方々と交流する機会が多い。                           

このような交流に煩わしさを感じる人もいると思うが、私は行事等を通して家族ぐるみで地域の方々に大変お世話になり、楽しく過ごすことができた。今では島が第2のふるさとになっている。                      

しかし、この時期、仕事をする時間は、より限られるようになってきた。  家に持ち帰って仕事をする時間が物理的に少なくなってしまったのである。

仕事は、基本的に持ち帰らず、学校ですべて済ませる意識が必要になってきた。                                             はじめは、「学校ですべて終わらすなんて無理だよね」と思っていたが、強制的に環境が変われば、やらざる得ないのである。                      そして、やってみると意外にできることに気づく。                                          

この時期、仕事をする上でよく考えていたのは、                       「その仕事(指導)は、誰のどんな問題を解決するためのものか?」              ということである。

すべての仕事(指導)は、誰かの問題を解決するために行っているはずである。仕事(指導)を行う前、行った後に、このことを考えることによって、仕事を効果的・効率的に行うことができる。        

例えば、プレゼン資料を作成していると、いつの間にか「詳細に作りこむこと」に力を入れてしまうことがある。                           そのようなとき、「誰のどんな問題を解決するためのプレゼンなのか」を振り返ってみる。

そうすると、集めようとしていたデータが必要ではなかったり、余計なプレゼンシートを作っていたりすることに気づくことがある。                その中で、その仕事の意味を考えることにもなる。                        

「その仕事(指導)は、誰のどんな問題を解決するためのものか?」を考えると、その仕事の効率化が図られ、時間短縮につながるだけでなく、仕事の意義を深く考えることができ、本質的な問題をとらえやすくなるのである。

この考え方を手に入れてからは、仕事の仕方がずいぶんと変わり、精神的な余裕が生まれるようになった。

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