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オール3の中学生が都立最難関校に受かった話

どうも、こんにちは。
【株式会社自分の履歴書】では、僕の過去について振り返ろうと思います。自分がどんな学生時代を過ごしてきたかを知ってもらうことで、読者の皆さんに何か参考にしてもらえたらいいなと思います。

今日は自分の人生を変えたと言っても過言ではない(ほとんどのイベントが人生を変えているのは内緒)、高校受験について思い出しながら書いてみようと思います。ぜひゆっくり、最後まで楽しんでくださいね。


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オール3

小学校、中学校と公立の学校に進んだ子どもにとって、高校受験は人生で初めての受験。中学受験をしない組にとっては、ここがまず最初の関門であり、ある程度の成功を目指す人、もしくは子供をいい大学いい会社に入れたい親にとって、その先のある程度の方向性が固まる大事なイベントです。僕の親も例に漏れず、「いい成績を取っていい高校に入り、いい大学に入り、そして、いい企業に勤めなさい」という典型的な”成功志向”の親でした。中学校1年の終わりの時、僕の成績表はオール3。

「こんな成績で、どんな高校に行くつもり?」

という、不甲斐ない成績に対する辛辣な母親のコメントから、僕の高校受験は始まります。

とりあえずトップを見に行く

話は少し遡って中学1年生の夏休み。最初の定期テストが終わって、大した勉強をせずに英語100点、理科96点、総じてオール4くらいというまずまずの成績表をもらって帰ってきた頃でした。”成功志向”の親らしく、中学1年生から受験を意識して僕に進研ゼミをやらせたり、高校受験の情報収集をしていたらしく、夏休みに高校の学校説明会に一緒に行くことになりました。

その時に見に行ったのは、都立の最難関校、伝統と歴史のある日比谷高校でした。夏目漱石をはじめとして、著名な方々が卒業生として名を連ねる、日本を代表する名門高校でした。
今思えば、中学校1年生の時に日比谷を見に行ったのは大正解でした。まだ高校受験まで時間があったのでそこまで現実的にならず、「トップ校」の雰囲気を感じることが出来ました。我が家の方針は何事もとりあえず一番を目指すというものだったため、「一番の高校」を見にいけたはよかったと思います。(周りがみんな制服や綺麗な格好で着ているのにも関わらず、紫のTシャツを着て行ったのですごく浮いたのはいい思い出)

それが中学1年生の夏休み。まだ勉強も本気でやらず「へ〜」くらいの気持ちでいたのですが、そこから何となく日々を過ごしていると成績は下がる一方。1年生の終わりの頃にはザ・平凡であるオール3の自分が完成していました。

塾に入れられる

進研ゼミでは全く自分で勉強しなかった自分に親が痺れを切らしたのは中学2年生の夏休み。部活の方は頑張っていたのですが、この成績ではトップを目指せないということで、地元で人気のあった塾に入ることになりました。


↓↓↓↓バスケ部時代の話はこちら↓↓↓↓


そこで入塾したのが、当時は早稲アカ等に比べると知名度の低かった河合塾Wingsという河合塾の高校受験版の塾でした。知名度こそ低かったですが、勢いがすごくあって地元の子は河合塾に通っている子が大半だったような気がします。
結果的に、僕はこの塾で大変お世話になり、成績が爆上がりし、その後の人生の大きな礎が築かれることになりました。今でも当時の塾長とは交流があって、たまに一緒にご飯に行ったりしています。

文武両道の日々

塾入ったのは結構遅い方で、意識の高い子たち(親たち)は中一から、もっと言えば小学校の時から塾に通っている(通わせている)ようでした。オール3の僕が入ったクラスは一番下のクラス。かなり優しくて説明の丁寧な先生が多く、基礎からみっちりと授業をしてくれたのを覚えています。一番下のクラスか、と親には落胆された気がしますが仕方ありません。

塾の授業はすごく面白くて、成績はメキメキ上がって行きました。定期的に「実力テスト」なるものがあって、その成績によってクラス替えが行われるのですが、そのテストのたびに一つずつクラスが上がりました。

当時は部活も忙しかったのですが、勉強は勉強で夢中でやっていたと思います。どのくらい頑張っていたかというと、夕方に部活が終わってそれと少し被る時間に塾が始まるのですが、授業の時間が少しでも短くなるのが嫌で部活が終わってから走って家に帰って塾に行っていました。部活でへとへとになるまで走ったにも関わらず、そこから走って家まで帰って更に塾まで走っていくなんてどんだけ元気なんだよ、と。(笑)
もっと言えば、塾が終わって帰る時も基本的には走って帰っていました。笑
塾で本当に面白い授業を受けて、勉強に対するモチベーションが上がると、なんというかハイになるんですよね。「うお〜〜頑張るぞ〜〜!!」みたいな。
それで、走って家に帰ってすぐに復習というような超人的な生活をしていました。

そんな努力の甲斐あって、中学2年生が終わる頃には成績表はオール4くらい、塾でのクラスは上から二番目になっていました。一番上のクラスは本当に天才が揃っているというような感じで、実力テストごとに張り出される成績上位者に名を連ねる人たちです。そこまで行くには一歩及ばず。そんなポジションでいよいよ受験本番となる中学3年生の春を迎えます。

ちなみに、心に決めた志望校は都立西高校。同じ中学のバスケ部の先輩が行ったということと、制服もなく自由な校風に惹かれて日比谷ではなく西高を選びました。本当に高い目標でしたが、「とにかく上を目指す。」これは、小さい頃からずっとなりたかったパイロットになるためにも必要不可欠な意識でした。

受験期

中学3年生の1学期、これが一番自分が頑張った時期かもしれません。成績も上がってきて「トップ校合格」が射程圏内に入りそうになっていたその頃、僕の通っていた校舎で新しいクラスが新設されます。それが、日比谷西特別選抜クラス。通称HNクラス。なんと、このクラスでは都立のトップ最難関校に照準を合わせて、近隣の校舎の塾長が特別に毎週授業をしに来るというのです。河合塾Wingsの先生達はみんな一流の塾講師でしたが、塾長クラスともなるとその中でもひときわ優秀な超一流の塾講師です。全教科でそんな先生の授業が受けられるHNクラスは僕にとって本当に魅力的なクラスでした。

そんなHNクラスに入るべく、部活をやりながら走って移動し、塾で勉強する日々。クラスを移れるチャンスは夏期講習が最後で、そこを逃すともうHNクラスには入れません。なんとしてでも夏期講習までに成績を上げたい。その一心で、とにかく頑張りました。

運命の1学期最後の実力テスト。なんと僕は英語で全国3位の成績を取り、無事HNクラスに入れることになりました。この時に初めて塾内の成績上位者の張り紙に自分の名前が載りました。それに伴って学校の成績も上がり、その頃はオール4.5くらいになっていました。トップ校合格に必要なのはオール5なので、そこまであと少しでした。

夏期講習からはほとんど全ての人が部活も終わり、受験に向けて本気モードになります。僕も例に漏れず、必死で受験期を闘いました。この頃は1日に10時間くらいは勉強していたと思います。というか、勉強以外にやることはほとんどありませんでした。楽しみといえば週に一回週刊少年ジャンプを買って読むことだけ。そんな毎日でした。

余談ですが、何故か旅行にだけはしっかり行ったのを覚えています。
「2、3日旅行に行ったくらいで落ちるようでは困る」という祖母のもっともな意見のもと、夏は祖父母と我が家で海にサーフィンをしに行きました。海で真っ黒になって塾に行くと「受験生の肌の色じゃない」と先生に言われたのを覚えています。思えば、それが祖父と行った最後の旅行でした。その後祖父は病に倒れて寝たきりになってしまったので、旅行に一緒に行けて本当に良かったです。
冬は千葉に年越し旅行に行きました。冬休みは受験も目前で、僕としては家で勉強していたかったのですが、何故か一緒に連れて行かれることに。結局、宿では勉強をしていたような気もします。
この経験から、僕はどんなに一意専心で頑張っていることがあったとしても楽しみの時間や旅行の時間だけは確保するようにしています。全てを我慢して何かに取り組めばいいわけではないと思うようになりました。

そんなこんなで、風のように日々は過ぎ去っていきました。2学期が終わる頃には成績表もほぼオール5に。模試での成績もちゃんとよくなって、志望校の判定はSになっていたと思います。

人生でいちばん嬉しかった日

都立高校の受験には推薦と一般入試があって、両方受けられます。僕は推薦も受けさせてもらいましたが、推薦の結果は不合格。推薦は倍率が高く、面接と小論文が試験科目でした。小論文は得意だったのですが、その年のテーマは今ひとつハマらず、、、。気を取り直して一般入試に向けて勉強を続けることになりました。

唐突ですが、僕の誕生日は2月27日です。この誕生日は少々厄介で、というのも受験の合格発表って大体2月28日とかその辺が多いんですよね。なので受験生の年は合格発表を翌日に控えて、誕生日の気持ちを全く味わうことができません。しかも、もしも第一志望に落ちてしまえば最悪の気分になります。誕生日が近い人は共感してもらえるかもしれませんね。笑

そして迎えた中学3年生の2月28日。まだ冬の寒さの残る中、僕は西高校の中庭に立っていました。直前に降った大雪の、雪がまだ残っていたのを覚えています。女の子は親と一緒に見にきている人が多かったと思いますが、僕はひとりぼっちでその時を待ちました。

時間になって、合格発表の紙が張り出されました。

2、3秒、自分の番号を探すのに目を動かして、自分の番号を認識した瞬間、とめどなく涙が溢れてきました。

「ああ、俺は受かったんだ」

それまでの全ての努力が報われた瞬間でした。
その後、非常に充実した高校三年間を過ごすことになる西高校の中庭で、人生で初めてとも言える成功体験を味わった瞬間でした。

ひとしきり泣いて、まず母親に電話しました。仕事中のはずなのに、母親も電話の向こうで泣いていました。次に、父親に電話しました。流石に父親は泣きませんでしたが、本当に嬉しそうでした。次に、塾に電話しました。もうこの辺からは覚えていません。

勝因

今大人になって振り返ってみると、とにかく楽しんで勉強できたことが良かったのかな、と思います。塾の先生の授業が面白くて、日々成績が上がっていくのが楽しくて、とにかく前向きな気持ちで勉強を続けることが出来ました。
最初の成績こそ悪かったですが、塾に通った途端に成績が上がって行ったのはそういうことだと思います。当時の先生たちには本当に心から感謝しています。

HNクラスのみんなは本当に優秀で、その年の合格実績は目を見張るものでした。日比谷より西の方が人気で、8人、HNクラスから同じ高校に進みました。他のみんなが一緒に頑張ってくれたのも大きかったと思います。まさに、切磋琢磨出来ていたクラスだったと思います。

その後、西高校では濃厚な三年間を過ごし、多くの経験をし、勉強以外の部分でもたくさん成長することになるのですが、それはまたの機会に書こうと思います。
とにかく努力して、自分の希望を通す頑張れば、自分の願いは叶う
そんな経験ができた高校受験でした。

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