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スピリチュアルな概念だけでは幸せにはなれない


ちょっと挑発的なタイトルになってしまいました。

世の中に対するモヤモヤもありますが、今回は何より私自身への戒めとして、書いていきたいと思います。

ところで、そんなあなたは何者?って感じなのですが、

私は、精神世界に目覚めてからまだ数か月足らずと、スピリチュアル歴ペーペーの“ぺ”にもならない人間なのですが、

それでも魂レベルでお伝えしたいことがあるので、記事を書きます。

タイトルで心を惹かれた方は、最後までお付き合い頂けますと幸いです。




さて、

堅苦しい冒頭になってしまいましたが、私が主張したいことは2点あります。

それは、いくらスピリチュアルに目覚めても、

自分軸が確立されていないと意味がないし、“中庸”を意識しないとバランスが崩れてしまう

ということです。



まず最初に、“スピリチュアル”の意味を見てみます。

スピリチュアルとは、

本来【spirit=魂】という意味になります。要は、“魂の感覚”で生きていくということです。

スピリチュアル本来の意味とは?スピリチュアルを最大限に活かす生き方!より引用

とあります。そして、スピリチュアルの世界と出会うことで、

自分は本当は何がしたいのか
本当に今の仕事は心の底からやりたいことなのか
自分自身の1番奥底にある“想い”や“考え”はなにか

スピリチュアル本来の意味とは?スピリチュアルを最大限に活かす生き方!より引用

これらについて深く考えるようになります。


つまり、スピリチュアルの世界を知ることとは、

人間としての偽りのない【本来の生き方】を学ぶこと

スピリチュアル本来の意味とは?スピリチュアルを最大限に活かす生き方!より引用

なのです。


スピリチュアルな世界は、目には見えません。匂いもしません。音も聞こえません。(※霊感がある方は別ですが)

そんな中で、

人は、神様や天使などの目に見えない高次元の存在に見守られているとか、

人生に起こる出来事はあらかじめ自分で設定して生まれてきたとか、

強く願えば望みは叶うとか、

にわかには信じがたい概念がたくさんあります。

そして、信じるも信じないも、その人の自由です。




しかし私が言いたいのは、自分軸が確立されていない状態でスピリチュアルな世界に傾倒しても、それは“現実逃避”にしかならないのではないか、ということです。


自分軸とは、自分が誰よりも尊い存在と実感するということです。

『人の肉体は神様を祀る“お社”で、魂は“ご本尊”』という考えがありますが、自分軸とはつまり、こういうことだと思うのです。

もちろん、“余は神ぞ。皆の者、ひれ伏したまえ”なんて、エラそうに振る舞うということではなく、

自分を神様を扱うように大切にすることが、自分軸の神髄だと思うのです。


いくらスピリチュアルな世界に目覚め、開運グッズにお金をつぎこんでも、

部屋が汚かったり、家族との仲がギスギスしていたり、日々の暮らしを大切にできていなかったら、意味がないと思うのです。

何より、自分の枯れた心にお水をあげずに、スピリチュアルな世界に潤いや栄養を求めていても、うまくいかないのです。

また、“無償の愛”や“どんなときでも感謝の心を持つこと”などにとらわれすぎてしまうと、

それができていない自分に対して罪悪感を持ってしまい、自己嫌悪に陥ってしまいます。

しかし、スピリチュアルな概念は概念として認めつつも、それをどう日常の生活に取り入れていくかは、あなたが決めていいのです。

『スピリチュアル=魂とつながる=真実』ではありますが、その真実はあなたが選び取っていいんです。

スピリチュアルな気づきを活かして、本当の自分といかにしてつながっていくかが、スピリチュアルの本来の意味だと、私は思うのです。



また、人はスピリチュアルな世界を知ることで、“スピリチュアルな人”と“そうでない人”と、他の人を区別してしまいがちです。

それ自体は何も悪いことではありません。

しかし本来は、両者に大きな隔たりがあるのではなく、“短髪の人”・“長髪の人”、“たぬき顔の人”・“きつね顔の人”、くらいの差でしかないのです。

それを、『自分たちは目覚めることができた特別・・な人たちだ』という意識を持ってしまうと、そこに優越感や偏った自尊心が生まれてしまいます。

スピリチュアルな世界に目覚め開眼することで、人と自分が違うことを自覚することは問題ないのですが、

それをことさら強調したり主張することに対して、私は疑問を持ってしまうのです。


スピリチュアルの世界に出会うということは、“ワンネス”の概念に出会うということです。

ワンネスとはつまり、自他の区別がない、すべての存在が一体となった愛と調和でできた世界のことです。

ちょっと話がそれてしまいますが、私は最近縁あって宝塚のDVDを借りる機会があったのですが、

最後のフィナーレで出演者全員がみんなで歌っている場面を見て、突然ワケもわからず号泣するという不思議体験をしました。

もちろん演目に感動したこともありますし、たまたま疲れてただけなんじゃないの?と言われたらそれまでなのですが、

そのときの感覚としては、

“私、前までこういう愛と平和がつまった世界にいたのに、なんで今一人でこんなところにいるんだろ…”

という、自分でもよくわからない、なんとも寂しくて悔しい気持ちに襲われたんです。

自分の感じた“前”がいつのことなのかさっぱりわかりませんが、魂がいた場所・・・・・・と考えると、妙にしっくりくるのです。

しかし、スピリチュアルな世界を知り、ある種の“選民意識”のようなものを持つことで、この愛と調和の世界であるワンネスの概念に反するものになってしまうと思うのです。



この世はすべて、バランスで成り立っています。

人にしたことは良いことも悪いことも、必ず返ってきます。

無理をしすぎると、途方もない疲労感が代償としてやってきます。

ポジティブに振り切りすぎると、反動でネガティブな気持ちに襲われます。

“中庸”が大事と言われているように、何事も偏りすぎてはいけないと思うのです。

フラットな気持ちで常にいること。

自分とは違う人たちもいるよね。という大らかな気持ちでいること。

それ以上追及したり批判したりしないこと。

ネガティブな気持ちを手放し、世界に自由を与えること。

そして何より、自分の気持ちを一番大事にすること。

それが、本来のスピリチュアルの持つ意味だと思っています。




と、ここまで高尚なことを主張してきましたが、私自身は精神世界に目覚めたとはいえ煩悩だらけの人間でしかないので、

まず私自身が、他の誰よりもスピリチュアルな世界と上手に付き合っていけるようにしていきたいと思っています。


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました😌





🌠宇宙(天使?)からのメッセージ


宇宙って愛なんだよ。
愛っていうのはね、つまり、
信じるってことなんだよ。
あなたのことを、宇宙は信じてるんだって。
愛してるから、信じてるんだよって。
だけどね、ときには愛が見えない形で
現れることもあるんだよ。
だからそれを、怖がったり嫌ったりしないでねって。
どんなに嵐が吹き荒れようと、
宇宙はずっとあなたを見守っているよ、照らしているよ。
だから、悲しんだり、希望を捨てたりしないでね。
嵐の後の快晴になったときの、力強い陽射しや、
鮮やかな青い空を思い出してね。
宇宙はずっとあなたを見守っているよ。
だから、忘れないでね。



なにかの参考になったら嬉しいです😌


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