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パニック障害になってわかったこと

この記事は、パニック障害の体験談が書かれています。ご自身の体調に無理のない範囲でお読みください。


パニック障害について一度きちんと書こうと思い立ってから、

ずいぶんと月日がたってしまいました。


noteをはじめてから、パニック障害で悩んでいる人は自分だけじゃないんだと知ったこと、

また、不安障害について書いた記事に、思いのほかスキがついたこと、

そして、前よりもずいぶんと余裕を持って自分を振り返られるようになってきたことから、

今回は私のパニック障害体験について、書いていきたいと思います。





パニック障害の原因は詳しくわかっていないとされていますが、

その仕組みは、いたってシンプルだと私は思っています。




それは、自分の気持ちを抑圧しているところから来ているということです。




パニック障害を抱えている人は、心理的に自分で自分を縛っている状態なのです。

いわば、自分で自分を閉じ込めてしまっている状態と言えます。


パニック発作は、電車や飛行機に乗っているときなどに起こりやすいのですが、それはいずれも閉鎖的空間であるために、もともと窮屈になっている「本当の自分」が二重に、、、窮屈になるためなのです。

泉谷閑示著「『普通がいい』という病」より引用


パニック障害の人は、もともと心理的に自分の気持ちを抑圧しているので、

それが現実世界でも同じように閉じ込められた環境になると、

とたんに、尋常じゃないほどの息苦しさや閉塞感を覚えてしまうのです。



普段から手錠をかけられ、体中をぐるぐるに縛り上げられた人が、

牢屋のような空間に閉じ込められたら、ますますパニックになってしまうことは誰が見てもわかります。

しかし、心理的・・・に縛られた状態というのは、まわりだけでなく、自分ですら気がつきません。

そのため、電車や飛行機といった自由に乗り降りできない空間に入ってはじめて、

本当はがんじがらめに縛られてギリギリの状態だったことを思い知らされるのです。




『不安もパニックも、さようなら 不安障害の認知行動療法』によると、

“不安に悩む人はやさし過ぎることが多い”とあります。

私は、やさしさが、ほとんどすべての不安の原因にあると確信しています。あなたは、ほぼ間違いなくとてもやさしい人でしょう。

そして、以下の信念がそのやさしさの背景にあると指摘しています。

●他人を喜ばせる
●怒りへの恐怖
●対立への恐怖
●感情の完全主義
●エモトフォビア(否定的感情の恐怖)


私はこれまでの人生で、家族のことでたくさん我慢をしてきました。

自分の考えを押し通すよりも、まわりの人を尊重すべきだと思いながら過ごしてきました。

そして、それが“善いこと”だと思ってきたし、“大人”だと思ってきました。

また、常に怒っていた家族の影響で、怒りの感情をうまく処理することも苦手です。

そのために、主体性のない人生を送ってきたという自覚があります。


その人がいつの間にか「本当の自分」から遠い生き方になっていることが明らかになってきます。「まあ、そのうちやるさ」とか、「これは本当の姿じゃないけど、とりあえずこうしていきましょう」と、どこかでごまかして日々をこなしている。一番その人らしい部分が追いやられて、最近大切にされていなかったことが分かってきます。

泉谷閑示著「『普通がいい』という病」より引用


ようするに、

“在りたい自分”ではなく、“在るべき・・自分”を優先してしまうと、

どこかで限界にいきつきます。

まさしく、以下のような状態になります。

“いい子”でいないといけない。
“普通”でいないといけない。
そんな長年の“圧政”にたえかねて、身体が暴徒化した。

不安障害は心のSOSだった



つい最近、両親に対して怒っている夢を見ました。

家族に対してはもうなんのわだかまりもないと思っていたので、

おどろきを覚えつつも、どこか腑に落ちる部分がありました。



そうだ、私はずっと怒りたかったのだ。

自分の権利を主張したかったのだ。

謝ってほしいとか、償ってほしいとかそういうことではなく、

私が感じたことを、ただ認めてほしかったのだ。

私はあらゆる感情を持つ権利があることを、わかってほしかったのだ。


怒りという感情は、どのような形をとるにせよ常に表出されるものです。怒りの感情を無視しようとすることは可能ですが、そうすれば怒りは間接的に表に出てくるだけです。

『不安もパニックも、さようなら 不安障害の認知行動療法』より引用


“自分勝手でワガママなことは言えない”

“相手を悲しませたくない”

“これ以上迷惑はかけられない”

“いい年してみっともない”

そういった思いから自分を抑え込んでも、感情は必ず現れます。

それが不安障害であり、パニック障害なのです。




私が初めてパニック障害になったのは、家族と電車に乗っていたときでした。

今思うと、パニック障害が起こった背景として、さまざまな要因が挙げられます。

  • 初めて乗る電車だった(いつ停車するかわからない)

  • 向かい合わせの座席で通路が狭かった

  • 出口から遠い位置にいた

  • 小学生の姪っ子たちといた

それに加え、

そのとき、たまたまそばにいた人から視線を感じました。

私は身長が高く人からジロジロ見られることは日常茶飯事だったので、

自分の中では気にしていないつもりでした。

しかし、電車の速度が増し、窓から見える景色が瞬く間に移り変わるうちに、

“なんて速いスピードで電車が走っているんだろう”

という恐怖に襲われました。

楽しそうに談笑しているまわりの人たちとのギャップが自分の異常さをさらに際立たせ、ますます恐怖心に拍車がかかっていきました。


当時を振り返ると、

人からの視線を感じたこと、また姪っ子たちと一緒だったこともあり、

“ちゃんとしないと変な人に思われる”

“子どもの手前、普通でいなければ”

と、無意識のうちに自分を縛り付けていたことが、パニック障害を引き起こした最終的な要因に思います。




飛行機や電車など、乗り物は確かに怖いです。

日常の生活にはない“高さ”や“速さ”を体感するため、どうしても不安を覚えるのです。

しかしそれは、本来生命の危険を感じるほどのものではありません。

なぜなら、私たちはめったなことでは事故は起きないということを知っているからです。

自分が乗る乗り物を信用・・しているので、安心して乗れるのです。


しかし、もしも、

昔自分をいじめてきた人が飛行機のパイロットだったら、どう思うでしょうか。

生命の危険を感じないまでも、誰だって不安に感じたり不快に思います。


パニック障害を抱えている人というのは、それが自分の中で起こっているのです。


つまり、普段から自分の中に純粋に湧き上がってくる感情を

感じてはいけない
みっともない
子どもっぽい
今さらどうにもならない

などと決めつけ抑圧していると、

自分をいじめる人と“同居”をしている、という心理状態になります。


パニック障害の人は潜在意識のなかで自分を疑っています。

自分を信用していません。

なぜなら、自分の気持ちよりも他人や世間体や“あるべき”を優先し、自分を抑圧してきたからです。

自分にさんざん裏切られ、あるがままの人権を奪われた状態なのです。

そんな状態で密室の空間に足を踏み入れたらどうなるのか。


自分を信用できないということは、自分の乗る・・・・・乗り物も信用できないということです。


当然、こんな乗り物なんかに閉じ込められたくない!と思います。

これ以上自分の自由を制限されたくない!自分の権利を侵害されたくない!

と思います。

パニック障害の人は、普段から抑圧されて限界ギリギリのところを生きているのです。

そしてそこで、初めて自分は限界の状態であることを思い知らされるのです。




では、いったいどうやったらそんな状態から抜け出せるのか。

『不安もパニックも、さようなら 不安障害の認知行動療法』には、

パニック障害を克服するためには、2つの作業が重要だと書かれています。

1つは、自分は本当はいったい何に悩んでいるのか、その問題を特定すること。

そして2つめは、その特定した問題に対する自分の感情を表現すること。



ここで重要なのが、必ずしも問題を解決する必要はないということです。


“どうせ言ったところで変わりはしない”

“思ったところでどうにもならない”

そうやって抑圧してきた感情を、まずは認めてあげます。


そして、悩みや問題がすぐに解決しなくても、

自分自身を抑圧から解き放つだけでも、

その意味合いはかなり違ってくると思うのです。



不安は

対処が必要な問題の存在を知らせるシグナル

『不安もパニックも、さようなら 不安障害の認知行動療法』より引用

とあります。


不安やパニックとなって表れた症状を、見過ごしてはいけません。

その背景には必ず、向き合うべき自分の大切な感情が隠されています。


相手に受け入れられなくてもいいのです。

まずは、自分自身が思うことが大事なのです。

自分自身が、きちんと自覚し認めてあげることが重要なのです。


もちろんこの作業には、カウンセラーなど第三者の協力が必要になってきます。

自分が今まで抑圧してきたものを、そのメカニズムがわかったところで簡単に「ハイ、そうですか」と認めることはできません。

「自分の本当の気持ちを認めていきましょう」と言ったところで、すぐにはうまくいきません。

自分は自分なりに感情を抑圧することで、どうにもならない現実とうまく折り合いをつけてきたのです。

それを、抑圧してきた感情を表現しましょうと言われたところで、すぐにできるわけがないのです。

しかし、この2つの考えを知っておくだけでも、物の見方は違ってくると思うのです。


あ~、私けっこう我慢してたんだ。

あ~、私けっこうつらかったんだ。


と思うだけでもいいのです。

もちろん実際は、その何倍もつらい思いをしているはずなので、

その気持ちになるべく寄り添うことが大事です。(そうでないと、パニックになったりはしません。)



そしてもう一つ大事なのは、パニック障害は完全に治さなくていいということです。


パニック障害を完全に治そうとするということは、感情をまったく持たないロボットを目指すのと同じことです。

不安は、私たち人間と切っても切り離せない関係にあります。

なぜなら、私たちは生きている限りさまざまな感情を経験するからです。

それは、人間らしいとても自然な行為なのです。

そしてそれを抑圧すれば、当然不安になりパニックになります。

不安になりパニックになるということは、あなたがあなたらしく生きられていないという

もう一人のあなたからの大切なメッセージなのです。

パニック障害になるということは、あなたがあなたらしく生きたいと心から願っている証拠でもあるのです。

それ自体を“悪”とみなしてしまうと、パニック障害を克服することはできないのです。


いつパニックになってもおかしくない
いつパニックになっても仕方ない
いつパニックになってもいいや


そうやって開き直ることこそが、私たちが目指すべき境地なのだと私は思います。







パニック障害を発症してから数年後、初めて一人で飛行機に乗る機会がありました。


離陸後なんとか持ちこたえていたものの、空港に近づいたところで“天候が悪く着陸に時間がかかる”とアナウンスがありました。

そのとき私は我慢が限界に達し、“飛行機から降りたい!”という衝動にかられパニックになりました。


結局、予定していた時間より20分遅れて空港に到着しました。


その20分の間なにが起こったかというと…





特に何も起きませんでした。


なぜならば、

パニック障害では死なない

からです。

たいていの人は、待てば飛行機が着陸することを知っています。

私はただ、その事実を信じることができなかった。

ただそれだけだったのです。









ここまで書いてきても、パニックになる人はなります。


私自身、近々飛行機に乗る予定がありますが、

多かれ少なかれパニックになるだろうと思います。


そこで最後に、パニックになった時におすすめの対処法を2つご紹介します。


まずは、自分の脈を計るということです。


脈の正常な速さはだいたい50~100と言われています。

そこで、パニック状態になったら自分の脈を計ってみます。

気持ち的には200くらいの感覚ですが、計ってみると100もないのです。

そこで一つ、あれ?と思います。

“死にそう、苦しい、つらい、助けて”

から

“あれ?こんなに緊張しているのに、脈は正常なの?”

となります。

むしろ、100以上だと“ダイエットに最適”なんて出てきたりします。

そこで、完全に拍子抜けします。


動機もパニックも、いたって正常な範囲内なのです。


そう思うと、だいぶ気がラクになります。


またもう1つ、何よりも大事な対処法として、

怖いんだね、
不安なんだね、

と自分に寄り添い、

パニックになってもいいんだよ

と、やさしく自分に語りかける方法があります。

そうすると、得体の知れない不安がスーッとしぼんでいく感覚がします。





不安やパニックを、忌み嫌うのではなく受け入れる。


それはまるで、

鬼が追いかけてきたと思って必死に逃げていたけれど、

逃げるのがしんどくなってあきらめて振り返ったら、

それは実は幸運の女神だった。

というような感覚に似ています。





あなたには、幸運の女神様はいますか?

あなたの幸運の女神様は、どんな姿ですか?




ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


この記事が、少しでも不安障害に悩む方のお役に立てれば幸いです🍀


※参考文献↓



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