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読了だと 聴くのは聴了?

オーデブルという存在を知っていました。
ずっと気にしてました。
昔、本が好きでした
二十歳までは絵本以外読んだことないくらい
本を読むのが苦手でした。
本を読むということを、私の場合 努力しないと培えませんでした
高校卒業の時はバブルで、信じられないくらいよい就職先でした
大きな会社なもので、有名大学の方々ばかり、
下町の公立高校卒業の私は 辛かった
馬鹿を少しでもと本を買うも目で字幕を追うも、頭にはいりませんでした
そこで、短編推理小説から始めました
面白かった 毎日がテレビスペシャル 1時間の通勤時間が楽しくなりました
じつは、何度かのりすごしました
活字を読むことになれてきたと感じ ちょー薄い文学を読み始めました
新聞も読むようになりました
頭にのこらないので 3色のマーカーでこの人がいいたいこと 私が感じたとこ 引用文と
それから、たくさん本を読みました
本は世界を広げてくれました

子供ができて読み聞かせが楽しくて仕方ありませんでした
そこから、プツリ
一切本を読むことができなくなりました
何でだろう
もともと体力ないから、本の時間がもてなくなってきたのかも

どーしても読みたくなりました
54歳にして。
本を読み出すと、何もできなくなります
私 不器用ですから すが○ぶん○さん調で
そこで、出会ってしまった
オーデブル はまってます
スマホを前に頬杖ついて、聞き入ったり
移動時間 家事をしてるとき
ポットキャストからのオーデブルです
毎日が楽しくなってきてしまった
ナレーションの方がまたいい
以前は文字から頭で映像化して楽しんでいましたが、テレビでも映画でもなく
ながら聞きが わたしにとって良いようで
確かに、意識があっちのほうにいっても
戻してもう一回噛み締めております

本を手に取りページをめくり
じっくり読むのって どこかかっこいいなーと思う
しかし、今の私はいつかいつかのつん読状態
読了でなく聴了 
賛否はあるのかなー 私は1冊の本を読み終えた時のような気持ち良さが同じくのこります。

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