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BADモード

いつも優しくていい子な君が
調子悪そうにしているなんて
いったいどうしてだ神様
そりゃないぜ
そっと見守ろうか?
それとも直球で聞いてみようか?
傷つけてしまわないか?

宇多田ヒカル「BADモード」

困っている人がいる。手を差し伸べようか、それとも見守るべきか。
私は困っている人を見かけたら、人のためとおもいまず声をかけてしまう。
それが自分にとって思いやりだと思っていたから。

今日出会った評論、大江健三郎の「節度ある新しい人間らしさ」。大江と障がいを持つ大江の息子が散歩をしているときに触れる、周囲の気遣いを通して感じた真の「人間らしさ」について説いている。
あるとき、大江の息子が持病によって道端に倒れてしまう。その様子を見かけた女子高生は手を出すことなくじっと見守る。ただ見守るのではなく、いつでも救急車などを呼べるよう、手には携帯を持つ。
大江は女子高生の節度ある思いやりに触れ、シモーヌヴェイユの一説を紹介する。

不幸な人間に対して注意深くあり
どこかお苦しいのですか?
と問いかける力を持つかどうかに
人間らしい素質がかかっている。

シモーヌ・ヴェイユ


最近、私自身が疲弊していて、周りの人に助けられる機会が多くある。
ただ、私はひとに話を聞いてもらうことはたくさんあるが、
人の話を聞いてあげた機会は少ない。

冒頭で挙げた宇多田ヒカルの「BADモード」では
大切な人が困っているときに
手を差し伸べようか見守るか悩んでいるシーンがある。
本当に人を愛するということは、自分が絶好調な時も不幸な時も会いたいと思えたり、ぎゃくもしかりで相手がBADなときに、手を差し伸べたいと思えることだ。

だから私は、大切な人をいつでも助けられるような大きなこころの器が欲しい。大きな懐で相手を安心させてあげたいと思う。


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