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(人間観察)寄り添い、腕を組む二人


自宅の近くのバス停で、バスを降りました。

この日の帰宅時間は、もうすでに太陽が沈みきっていて、暗い闇が町を飲み込んでいました。

暖かで安らかな我が家に帰ることを、ジリジリと体中が待ち望んでいるような、そんな落ち着かない気持ちでした。

バスのドアが開き、私は背中にバックパックと、左手に大きな荷物を抱えて路上に降り、滑らないように慎重に歩き出しました。

ここ数日降り続いた雪が、夜の闇の中で妖艶に光を発しながら、歩道や車道の傍らに山になって積みあがっていました。

同じバス停で降りたひとは、私のほかにふたりいました。

ひとりは、目の前を歩くスーツのおじさま。

もうひとりは、後ろを歩く若い女性。

その先にある信号の50mほど手前で、後ろを歩く女性が、突然私を追い越しダッシュしました。

少し先にある交差点の歩行者用信号は青になったばかりでした。

ドイツの信号は青の時間がとても短いので、交差点に差し掛かって直前で急に赤に変わってしまうことも多いのです。

だから、そこにある青のシグナルはまるで、「はやく!はやく!」と、急かしているようにも見えるのでした。

とはいえ私は、信号ダッシュが好きではありません。

自分の時間を慌ただしくすることが好きではないので、よっぽど急いでいるとき以外は、次の青を待ちます。

のんびりと、生きていくのが理想。

ダッシュして、わたしを追い越して行った彼女は、20代前半くらいのかわいらしい後姿の女性でした。

薄い茶色の髪は肩くらいの長さで、濃いオレンジのニット帽をかぶり、少し細身の黒いダウンジャケット、毛布みたいな大きいストールを首にグルグル巻いて、ぴったりとしたスリムなジーンズにロングブーツを履き、背中には上から折り返すタイプの防水のバックパック(ドイツでよく見る)を背負っていました。

数時間前に雪かきしたのであろう歩道は、うっすらと雪が残っていて、滑り止めの小さな砂利がまかれていました。

そこを、ロングブーツはザクザクと音を立て、背中のバックパックがガシガシと揺れて、彼女は信号を駆け足で渡っていきました。

信号を渡った向こう岸に誰かが立っていて、彼女は嬉しそうにその人物に駆け寄りました。

「ん?彼氏かな?嬉しくって、ダッシュしたのかな。きっと。」

案の定、信号は早くも赤に変わって、立ち止まった私は、ひとり、交差点に、ぽつり・・・ととり残されたまま、目を凝らしてそのお二人を観察していました。

よく見ると、その女性と寄り添い腕を組んで歩くのは、どうやら、中年の女性のようでした。

おそらく、母親なのでしょう。

暗くなってから帰ってくる、若く、かわいらしい娘を心配して、バス停の近くまで迎えに来ていたのでしょうか。

おそらく、バスの中で、娘が母にメッセージを送って、この信号で待ち合わせをしていたのでしょう。

楽しげに、右に左に、腕を組んだまま身体を揺らしながら、おふたりはのんびりと歩いていきました。

今日あった出来事を、話しているのかしら。


私は、なんだか、あったかい気持ちになり、お二人の家庭をじんわりと想像しました。

娘と母。

母と腕を組んで歩くなんて、最後にしたのはいつだっただろう。

日本の文化では、大人になってからは滅多にしないことかもしれないな。

ふと、日本にいる母に会いたくなりました。

やっと信号が青に変わり、私はまた歩き出しました。

青信号の時間は短いので、少し急がないと渡り切れないときもあります。

頭の上に載っていたニット帽が少しずり落ちてきたので、それを荷物を持っていない右手で持ち上げました。

お気に入りのレンガ色のニット帽は、数年前にハーブを扱う素敵な雑貨屋さんでみつけたもの。

でも実は私の頭のサイズよりもかなり大きいものなのですが、でもどうしても、この色と形が私の顔にピッタリ似合うので、サイズは妥協して手に入れたものでした。

顔を下に向けるとニット帽がズルリと落ちて視界を邪魔してしまうので、できるだけ姿勢をよくして、うつむきすぎずに歩きます。

信号を渡りきると、まだところどころに雪がうっすらと残り、時々つるりと凍っている歩道を、スノーシューズでギュッギュッ・・・と一歩一歩足を踏み込みむ感触を味わいながら、

なんだか、少し切なくなり、その先を歩き、小さくなって行くお二人の後姿を、

しばらくの間、

微笑んでるのに、少し潤みながら、

ハートが温かいような詰まるような、胸から鼻の奥にツンと繋がる、なんとも言えない気持ちで見送っていました。

「愛」というのは、目を凝らしてよくみると、すぐ、そこにある・・・。

大きめのざっくりとしたニット帽と共に、背筋を伸ばして夜空を見上げ、大きくひとつ、ふぅーっと、息を吐きました。

私の身体の中から現れた白いもやが、夜空にふわりと広がったあと私の頭に降りかかり、余韻を残して消えていきました。

そして、もう一度、日本にいる母を想いながら一息吐きだし、胸の中にある母への想いを夜空に託しました。

静かで青く光る冬の夜。

またしばらくしたら、あのどんよりと厚く黒い空から、真っ白な雪が舞い落ちてくるのでしょう。






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