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(エッセイ)花を贈られた私の中のいじめっ子

午後、ふと窓に目を向けると、また雪が降り始めていました。

ランチタイムまではやんでいたのだけれど、いつのまにかまた舞い始めたようです。

今日の雪はとても細かくて、ゆらゆら舞うのではなく速いスピードで落ちているので、きっと積もらないでしょう。

ドイツの雪は、とにかくフワフワしている印象があります。

まるで、白い蝶々が飛んでいるのかのように、ヒラヒラと上がったり下がったりカーブしたりしながら、空中を舞い踊っている光景は本当に幻想的で美しくて、窓からの景色に目が離せません。

そして、乾燥している気候の国なので、雪もサラサラとしています。

ヨーロッパ独特の木々や、古いスタイルの家屋などが雪で覆われている光景は、とてもファンタジーで、まるで童画の中にいるかのように美しいのです。

もう、3日くらい前からずっと雪が降り続いています。

雪は、心を静かにさせてくれるので、大好きです。

静かな気持ちでこの景色を見ていて、思い出したことがあります。


数日前、お久しぶりに会いに来てくださったかたがいました。

彼女は、大雪の中だというのに、紙に包まれた大きな花束を持ってきてくださいました。

これは、私にプレゼントだと。

寒くてお花がダメになっちゃうから、新聞紙で包んできたのだと。

このお花が好きで、でも彼女の家にあるよりも、私のもとにあったほうがお花が嬉しそうだから、と。


わたしは、思わず出た声と息とともに自分の胸の中に溢れる感謝を感じました。

受け取った花束は大きな紙に覆われていて、どんなお花が中にいるのかは見えませんでした。

包みの下から覗く茎がとても太くてしっかりしていて、その太い茎の中に細くてしなやかな茎がいくつか混ざっていました。

それを、ただガバッと束ねるではなくて、お花たちそれぞれが窮屈にならないように、少し斜めに並べて、お花それぞれのスペースを持たせるように工夫してまとめてありました。

そこから、彼女のお花への深い愛を感じました。


包んである大きな紙は今は開かず、自宅に帰ってから紙をとったほうがいいですよ、とのこと。

お花は寒さに弱いから。

中にはどんなお花がいるのか、自宅に帰ってからの楽しみですね、とわたし。

すると、

そのお花が開花した姿が、あなたにに似ているんですよ。あなたを思い出すんです、とおっしゃる。

胸がキュンとしました。

そして、照れくさい気持ちと、そんな風に想ってくださるかたがいてくださることに、本当に感謝しかありませんでした。


人間というのは、誰しも自分自身の中に「いじめっこ」を持っているのだと思うのです。

その「いじめっこ」は、誰かじゃなくて、わたしたち自身をいじめるのが趣味。

自分で自分を攻撃する、自分の中の「いじめっこ」です。

では、それを「イジー」って呼ぼうかしら。

「お前はダメだ」とか「役立たずだ」とか、そのイジーは、チクチクチクチク、ことあるごとに否定をしてくるわけです。

「もっとああすればよかったのに」とか、「あれはひどかったよね」とか、いちいちすべての行動にダメ出しをして、イジーは絶対に私たちを認めてくれないのです。

私たちみんなが、それぞれ内側にイジーを持っていて、イジーと共に生きているのです。

そして、

そんなイジーの悪趣味に翻弄されて、私たち繊細な人間は、勝手に落ち込んだり、勝手に自信を無くしたり、自己否定や自己ジャッジをしたりするのです。

でも、他人が褒めてくださったり、良いフィードバックをくださったりすることで、おや?イジーの言い分とだいぶ違うようだな、とやっと気づきます。

実際には「私はダメだ」でも「役立たず」でもなんでもなく、ベストを尽くして心を込めて行った行為の結果というのは、周りのかたがたには伝わっているのですね。

その行いが「完璧」でなかったとしても、ハートというのは伝わるもので、大切なのは完璧性ではなく、ハートですね。

そんなイジーは、私だけではなく誰しもの中にいます。

だから私は、できるだけ頑張っている人に感謝と労いの言葉を伝えるようにしていますし、自分自身にもそうしようと努めています。

周りから(あるいは自分自身から)の良いフィードバックや労いの言葉や努力を認める言葉は、そのかたのイジー撃退に繋がるのを知っているからです。

イジーは、まったくの偽りを、さも真実かのように言って、私たちを惑わせ揺さぶりかけます。

でもそれを、信じてはいけません。

もしも周りの方があなたに優しい言葉や嬉しい言葉をくださるなら、そっちを信じたほうがいい。

少なくとも私は、イジーの存在に気付いているし、イジーは嘘つきだということも知っているので、信頼しているかたがくださる言葉を信頼するようにしています。

そして、ご縁のある方にも、そのかたがイジーに揺さぶられないようサポートするため、本当によかったと感じたことをきちんと伝えます。

だから、もしあなたが誰かに褒められたら「いえいえいえ、そんな・・・」と謙遜しすぎず、その代わり「ありがとう」と感謝を伝えたら、そのかたも嬉しいし、あなたのイジーも遠ざかるでしょう。


このお花をいただいときに、彼女が私に「花を贈ろう」、と感じたその温かさを一緒にいただきました。

私の中で

「よかった。私は頑張ってるわりに結果が大きく出ていないとイジーは言い続けている。でも、実際にはハートは伝わっているんだ」

という大きな感謝と自分への労いと自信が現れました。

そうなると、イジーは私の心の中に居場所がなくなってしまって、ちょっと離れた遠いところで、恨めしそうにこちらを見ながら座っていたように感じました。

イジーは厄介なことに一生消えない子で、ずっと私たちと一緒に生きていく子ですから、消そう消そうとしても無駄足なのですね。

消えないのだったら、どうやってイジーに権力を持たせず、配下に手名付けるか・・・で、自分の人生の質が変わってくるのだと感じています。


その日、一日降り続いた雪で、私のプライベートヒーリングルームから自宅に帰ろうとした20時ころには、もうすっかり、愛車のレオは雪に埋まって息苦しそうにしていました。

レオの上に乗っている雪を手袋をした手で下ろし、レオの足元の雪をスノーシューズでかきわけ、なんとか脱出して帰路へとつきました。

風も吹き雪が降りしきる中、スピードを落としての走行や、途中で路線バスが雪にはまって動けなくなり大渋滞を起こしていたりして、自宅についたのはすでに22:00近くになっていました。

帰宅してすぐに、今度はお花を救出すべく、いただいた花束に覆われていた大きな紙の包みを開きました。

どんなお花が出てくるのだろう・・・好奇心を弾ませながら包みを開くと、そこから出てきたのは、たくさんの濃いピンクパープル色のゴージャスなお花の顔、顔、顔。

思わず「おおおお~~~~~」と声がもれました。

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「すぐに開きますよ」

と彼女が言っていた通り、もういくつかのお花は開いてて、中心との暗い色のコントラストがビビットでとても豪華。

それ以外の開きかけているお花の姿は、まるで開花前に憂いでいる乙女のような姿でとても素敵でした。

そして、添えてある葉は丸っこいハート型が連なっていて、指で触るとツルリとサラリとヒヤリの中間の、心地よい感触でした。もう一つ添えてある実のような植物はまるで、ぴょんぴょん飛び跳ねて遊んでいる子供のよう!微かに爽やかな香りがしてウットリします。


浄水したお水を花びんに入れ、丁寧に一本一本、花びんに挿していきました。

なんて美しいお花なんだろう。

絶妙な色の深みで、これ以上でもなくこれ以下でもありえない、アートな美しさ。

花弁は可憐なのに茎はとても太く逞しく見えて、でも切ってみると、実はあっけなく弱くそして繊細。

同じ種類のお花なのに、ひとつひとつ、真ん中のモフモフしためしべの形が違ったり、たくさん突き出たおしべの色のグラデーションが違ったり、愛嬌があって、ひとりひとりの個性を楽しんで咲いているのも、なんて素晴らしいのだろう!

「そのお花が開いた姿が、あなたに似ているんですよ。」

とおっしゃった、彼女の言葉を思い出し、照れと感動が私をもじもじした笑顔にさせました。

こんな美しいお花が私に似ているなんて、イジーは「絶対に賛成しないぞ!」と間髪入れずに言うだろうけど、でもイジーはいつも嘘しか言わないから、私はお花と彼女の言葉を信頼しよう。


かなりボリュームがあったお花を二つの花びんに分けて活けたあと、両手にそれを持ってリビングに向かう途中、ベランダのガラスドアに私とお花の姿が映っていました。

なんだか照れくさいけれど、でもとても嬉しくて、ガラスドアに映る自分の姿に、お花と共にポーズをとって遊んでいたら、それを見た夫が面白そうに近寄ってきました。

「そうだよ、イジーは嘘つきだから、彼女とこのお花を信じたらいいんだよ」

そういって、夫は私のこめかみにキスをしました。

夫も私も心理とスピリチュアルの専門で、よく心理の話をするので、彼もイジーの存在をよく知っています。

「見てごらん!オラフもそう言ってるよ!僕らはイジーだけじゃなくて、オラフも持っていることを思い出したらいいんだよ」

ガラスドアの向こうのベランダのフェンスに、両手を広げて立っている雪だるまを指さして夫は言いました。

雪が降るたびに、夫はベランダに小さな雪だるまを作ります。

いつもはエンジェルの形にするのだけれど、昨日は「アナと雪の女王」の雪だるまのオラフを作ったのでした。

昨日キッチンで、オラフの鼻の形になるように、夫はウキウキとニンジンを削っていました。

能天気でスーパーポジティブで絶対に自信を失わない陽気なオラフ。

彼は、私と夫のお気に入りのキャラクターなのです。


美しいお花をいただいた大雪の日のわたし。

イジーとオラフの両方を持つわたしたち。

お花を贈る気持ちと、贈られた幸福感と、大切な気づきがあったことと人生への感謝・・・・。

ホクホクとした気持ちで長かったその日一日を終えました。

人生で繋がるすべてのご縁と、人生で起こるすべての出来事と、人生を通して垣間見える内側のすべての動きに、ありがとう、という気持ちです。








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