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魂に繋がっているかを見分ける指針

魂に繋がっているかを見分ける指針

魂という言葉は日常会話で使う言葉でもあり、スピリチュアルな文脈でも使われる言葉である。

またスピリチュアルな文脈においてもルドルフ・シュタイナーが魂と呼んでいる範囲と、神智学や秘教で魂を指している範囲も微妙にちがうっちゃちがう。

しかし、そういうめんどくさい話は置いといても、魂の質に自分が繋がっているか否かを判定する簡単な指標がある。それは、一つだけ挙げるとしたら、

「利己的度合いがどれぐらいか?」

というのを考えてみるとよいかと思う。

つまり、だんだん利己的ではなくなり、思考が全体性を認識するようになってくるので、その大きなグループの一員としての自分の役割を認識していくといってもよいかもしれない。

今だけ金だけ自分だけ、は、もちろん全く魂とつながっていない状態といえる。

ただ、ここで勘違いや間違ってとらえられてしまうのが、「全体を考えた時に、自分が我慢していれば丸く収まる」という考え方は、まったく魂的な在り方ではないということだ。

我慢を伴う奉仕や献身、自己犠牲はそれとは違う。我慢するぐらいなら、自分がやりたいことをやり、失敗や成功のあらゆる経験をした方が良い。

まずは自我の確立、自分が何を欲しているのかなど、自分というものを認識することが先立つ。ただ、それが度を越していくと、オレ様意識だけの人間になってしまう。

ある程度、自分を認識したら、外から見て自分はどう見えているかという、他者の視点に意識が広がったり、全体の中で自分は何をもって貢献できるかというふうに視点が広がっていく。

自分が瞑想会に出たり、自分が瞑想会を主催するということが、満月新月にはやってくるのだけれど、昨日の満月では、もし、すべての人間が一人残らず魂意識を持てるようになったら世界はどう変わるか、ということをイメージしてみた。


乙女座の本質~魂を育む母胎

話は変わるけれど、今は、太陽が乙女座にある季節。乙女座の本質は聖母マリアが体現している。神的なもの(キリスト)を物質(マリアの子宮)に宿すという象徴でもある。それは物質とは潜在的に内側にスピリットを宿しているものともいえるし、人間も同じフラクタル構造になっているともいえる。

そもそもすべての人間が魂を宿しているとしたら、なぜ、利己的な人間がいたり、人が苦しんだり地球や自然界の存在が苦痛を感じていることに気づかないんだろうと思うけれど、それは、自分を構成している物質(肉体や肉体脳)の感受性が発達していないからといえる。まだ未発達で、発展途上、成長中であるということだ。

そこを成長させていくのが教育なのだろうけど、それはまた、人によって必要なものが異なってくる場合が多い。その人が持っている物質装備のタイプ、魂のタイプによる。だから、伝統医療などには体質気質論的なものがご多分に漏れず存在しているし、12星座を見ることもそういうことに関連する。

そして、人間は少しでも自分の魂の質に触れた時、つまり、自分の中にある真善美の意識に触れた時に、もっと、自分の鈍い物質体の反応性を高めなければ、という衝動に駆られる。

なんで今日はこんなことを書いているかというと、私は今日が誕生日なので、改めて自分の今後のことを考えているうちに、いちおう文章化しておこうと思ったからだ。

私は太陽星座が乙女座。子供の頃から雑誌の占いとかを見ても、まったく当てはまらない!と思っていたのだけれど、最近、秘教占星学的な視点から見た時に、めっちゃそうじゃん、と思うようになった。

役立ちそうなものをため込む(本能的に)、いずれ識別できるようになり、必要な時に必要なものを与えることができるようになる。つまり胎児(魂の萌芽)を育む母体(物質、肉体、魂の衣)が必要なものを胎児に与えているように。

それ、やってきたわ、と思うわけです。だいたい「あんじゅさんっていろんなことやってるね」といわれ、自分でも職業的肩書を聴かれても言うことができない理由はそういうことだと納得した今日この頃。

もう、あまりこれがしたい!みたいな勢いはないのですが、すべての人が魂意識に向かい、平和な地球になることを欲します。

自分的には、それが完成するのは、あと2000年ぐらいかかると思っていますが、今は大事な分岐点であり過渡期にあると思うので、自分が生きているうちには変化は見られないかもしれないけれど、今、地球にいる人は、それが善き方向に行くようにするのが仕事だと思っている。

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