見出し画像

魂の光 第3の書 覚書①


『魂の光 パタンジャリのラージャ・ヨガ経典』は秘教本の著者であるアリス・ベイリーが記したものである。マインドを統御し、真我とつながり真理を見る意識を養うことは、現在の人類にとっての課題でもある。

現在、読書会で第2の書進行中ですが、並行して第3の書を読んでいるので、自分でピンと来たところの覚書を記す。次に読むと、違うところに線を引くと思うので、覚書として。

ーーー

魂には手段がある。思考が手段である。それにはそれ自体の生命はない。思考が解放という仕事を成し遂げた時、それはなすべきことを成し終えて停止する。
(魂の光248)

ラージャヨガでは、マインド、思考の変異を止めることが課題である。思考も感情も肉体も魂の道具。思考の使い方を知らずして、魂の意志を実現することはできない。

瞑想を通してヨギは、自分自身が光つまり燃えるような本質の一つの点であることを知る。瞑想過程に熟達することによって、彼はその光になる。そして、その光が自分の光の中心とその本質において一つであることを知り、そのとき理解と交流と同一化が可能になる。
(魂の光250)

自分自身を低位三体(肉体、アストラル体、メンタル体)と同一化することをやめて、自分を真我(魂)と認識できたときに自分は光であることをしる。感情や思い込みにとらわれない訓練が必要。

堅忍、我慢強い努力、日々の小さなことの達成は、感情的で気まぐれな人の猛烈な前進や熱狂的な努力よりも価値がある。発達を過度に強いることは非常に明確かつ具体的な危機を引き起こす。しかし、道が長いことを知り、道のそれぞれの段階を知的に理解することは時期尚早なサイキック性質の目覚めによって得られる結果よりも価値あるということを認識するならば、これらの危険は避けられる。花が成長するように成長せよという命令は、非常に深いオカルト的な真理を含んでいる。
(魂の光255)

ラージャヨガや秘教で述べられている方法は「科学」であるから、再現可能なものだということ。いわれていることに従って自己訓練をしていけば、着実に意識が広がり結果としてサイキック的な能力を得る。サイキック能力を得ることだけを目的にしていては危険。それなりの人としての行をつむことで能力が与えられる。
*サイキック能力についての詳細は下記の記事もご参照ください。

ヨガの最初の5つの方法の第1の目的はヨギを志す人のための準備である。訓戒と規範を守り、肉体のエネルギーの安定とリズミカルな統御を達成し、意識を撤退させ、東部に集中する能力を得ることによって、熱誠家は集中と瞑想と観照の能力を安全に育成し、完全に活用できるようになる。・・・
・・・前述の成長をもたらす方法は、霊的人間をサイキック的な束縛と覆いから救い出すことに関するものであった。一方、この3つの能力は、このようにして救い出され、自分の足で立ち、開かれた目をもって生命を見る霊的人間によって行使されるものである。
(魂の光255~256)

人間は努力なくして、低位三界の世界から撤退することはできない。「集中、瞑想、観照」という最後の3段階に前にある5つの方法は、低位の世界から解放され、瞑想ができる準備として必須のことだ。霊的成長の法則や仕組みを知らないと、見当違いの方向に行ってしまったり、低位のアストラル界にしかつながっていないのに、高位の霊的存在とつながったと勘違いする。準備を整え、着実に進むことがやっぱり大事なのです。

低位サイキック能力があるということは(物質界の観点から見て)魂が眠っており、その道具を使うことができないことを示しており、したがって、これらの経験はアストラル界の認識を生み出す太陽叢の活動がもたらす結果に過ぎないことを意味する。この種のサイキズムは動物的な状態と人類の幼児期への後退である。したがって、望ましくないものであり、危険である。
(魂の光 257)

修行論的な話には、低位サイキズムの危険性については頻繁に言及される。道に迷いこまない注意深さと識別力が必要。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?