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癒しと学び③ ホリスティックな人間観 父の闘病と看取りからの学び

最初からこれを書きたかったのですが、3回目になってしまいました。

まずは、ホリスティックという言葉について。

ホリスティックとは?

日本ホリスティック医学協会のHPより
「ホリスティック(Holistic)という言葉は、ギリシャ語で「全体性」を意味する「ホロス(holos)」を語源としています。 そこから派生した言葉には、whole(全体)、heal(癒す)、health(健康)、holy(聖なる)…などがあり、健康-health-という言葉自体が、もともと「全体」に根ざしています」

ホリスティック医学という言葉を知ったのは、アロマテラピーを学んでいる時か、セラピストとして活動を始めた時だったか詳細は忘れてしまいましたが、1995年~96年ぐらいのあたりでした。

程なく、父が末期がんであることが分かり、その頃に住んでいた東京と実家のある福島を行ったり来たりすることになりました。当時は、癌といったら不治の病であり、とても恐ろしいものという時代でした。

父の癌との闘いと看取り

手術のあと主治医から父の状態を家族とともに聞いたときには、目の前が暗くなるような感覚がありました。

その時、私はアロマセラピーの学びを終えて、アロマセラピストとしてやっていこうかなと思い始めている時でした。その学びの中では西洋医学的な解剖生理学はもちろんですが、人間の治癒力のことや精油の持つ力なども学び「ホリスティック医学」という言葉も知ったところでした。

ですので、何か助かる方法があるかもしれないと思い、家族にもそのことを伝えました。その頃は癌であることを本人に告知するか否かを決断すると問題がありました。家族と話して、嘘をついたまま一緒に頑張ることはできないから伝えようということになりました。

父に病状を話し、治療をどうするかを考えることになりました。いろいろ情報を集めて父や家族と話して良さそうなこと、出来そうなことをとりいれることにしました。私も東京と福島を行ったり来たりの中、必死でいろんなことをやっていました。

ここでは書ききれないほどの様々なことがありました。父だけではなく、主に看病の中心である母の心のケア、主治医とのやり取り、周囲の人からの好意なのだけれど「これがいい、あれがいい」などの提案などなど、対応することがたくさんありました。

とはいえ、一番大変だったのは母だったのは間違いなく、最近になってから、その頃、私が知らなかったことを話してくれることがあります。

最初に主治医から状況を聞いたときには余命半年といわれましたが、一時的に良くなり、半年以上生きることが出来ました。しかし、ある時から徐々に弱っていき1年を待たずに亡くなりました。60歳でした。

徐々に状態が悪化したときに最初の手術以来、2度目の入院となりましたが、父は自分の最期を察知してか、自宅に戻りたいということを言いはじめました。何とか治したいという望みを持っている気持ちを、緩和ケアに切り替えるのは、なかなかできない状態で、在宅ケアをしてくれる先生を探し、とても良い先生に出逢うことができたので、父は自宅に戻ることができました。

そして、自宅に戻った次の日に亡くなりました。

状態が良くないので、もちろん、いくつかの管をつけられた状態でした。しかし父には、それを外したいという意志があり、先生に相談して本人の希望通りにしました。トイレに行きたいとのことで、その時、部屋にいた私が介助すると、立ち上がった直後に倒れ、抱きかかえた私の腕の中で、ゆっくりと長く長く息を吐き、文字通り、息を引き取りました。

母はちょうど夕食の準備中だったので、父が倒れるや否や、一緒に部屋にいてくれた叔母が母を呼びに行ってくれました。しかし、母が父に対面したのは息を引き取った直後でした。その時、たまたまそこにいた私が父の魂が撤退していく姿を見ることができたのは、ある意味、恩寵であると感じています。

父の闘病と看取りの体験を経て、自分が人の心身の健康に関わっていくアロマセラピストという仕事をちゃんとやろうと決意したのはその時でした。

同時に、父の闘病期間の病院との関わりに対して、いろいろと疑問がわいてきたことがありました。

主治医に質問をしたり相談をすることがなかなかできず、不安を抱えた患者、家族のケアはされていないこと、手術と投薬のみで他の可能性を検討することができないことなど、医療に対する様々な疑問や不信感がわいて来ました。

今となっては、病院や医師の役割のなかで適切なことをやってくれていたのだろうと思いますが、はじめて癌患者を抱える当事者にとっては、病院の対応は冷たく感じました。アロマテラピーを学んだ直後で、代替医療や自然療法に理想を見ていた反動で、病院や医師に対して強くそう感じたのかもしれません。

通常の医療に対して、人の全体性を見ていくホリスティック医学という考え方に共感し、それをもっと学んでいこうと思いました。また、在宅緩和ケアをしてくれた先生の在り方から、人を人として見ていく医療とはこういうことだということも体験させてもらうことができました。

ホリスティック医学の定義

日本ホリスティック医学協会のHPより

1.ホリスティック(全的)な健康観に立脚する

人間を「体・心・気・霊性」等の有機的統合体ととらえ、社会・自然・宇宙との調和にもとづく包括的、全体的な健康観に立脚する。

2.自然治癒力を癒しの原点におく

生命が本来、自らのものとしてもっている「自然治癒力」を癒しの原点におき、この自然治癒力を高め、増強することを治療の基本とする。

3.患者が自ら癒し、治療者は援助する

病気を癒す中心は患者であり、治療者はあくまでも援助者である。治療よりも 養生、他者療法よりも自己療法が基本であり、ライフスタイルを改善して患者自身が「自ら癒す」姿勢が治療の基本となる。

4.様々な治療法を選択・統合し、最も適切な治療を行う

西洋医学の利点を生かしながら中国医学やインド医学など各国の伝統医学、心理療法、自然療法、栄養療法、手技療法、運動療法などの各種代替療法を総合的、体系的に選択・統合し、最も適切な治療を行う。

5.病の深い意味に気づき自己実現をめざす

病気や障害、老い、死といったものを単に否定的にとらえるのでなく、むしろその深い意味に気づき、生と死のプロセスの中で、より深い充足感のある自己実現をたえずめざしていく。

癒し healingと包括性 holistic、全体hole

「ホリスティック」とは全体性や包括性と訳され、日本ホリスティック医学協会の名誉会長である帯津先生は「まるごと」という言葉を使われます。しかし、どこからどこまでを全体としてとらえられるかで、ひとりひとりが持つホリスティックは変わってくるのかもしれません。

ここから、人間や世界のホリスティック性とはなんだろう?という探求も始まりました。父の闘病と看取りの体験が、本当の意味でのホリスティックな視点から見た時に、どうたったのか?に気づいたのはだいぶ後になってから気づくことがありました。それはまた後ほど触れることになると思います。

また、深いところに自分の問いがあることにも気づきました。それは「父は幸せだったのだろうか?」というものでした。こうした問いは子どものころから飼っていた猫が肉体を離れたときにも、無意識の中で思っていたことです。

その問いが、癒しやケアを越えて、人生をクリエイティブに生きるという学びの方向に繋がっていく種になっていたことは、後で気づくことになります。

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癒しは英語でhealingですが、冒頭にもあったように、holisticと語源は同じです。次回は癒しとホリスティックのつながりのお話しから始めてみたいと思います。

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