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欲望追求と足るを知る


あけましておめでとうございます。
今年も焦らずゆっくりと、自分のペースで更新していきます。

どうも、tokusanです。


新年一発目から重めのテーマ「欲望」について。


人間はまったく欲深い生き物です。

より美味しい食べ物を食べ、
より長く睡眠をとり、
より良い結婚相手を見つけ、
より高い社会的地位を求め、
より多くの金銭を得ようとする。


しかし、これは何ら間違った行動でもなければ責められる行動でもありません。

生物学的に考えても、自然選択によって、良い多くの生存可能な個体を残す為に、そうさせられているのです。


この欲望に関して、留意しておかなければいけないことが一つあります。それは、

欲望は無限である

ということです。


一つ欲望を叶えると人間は味をしめ、また新しい欲望を探す飽くなき旅を始めます。



現代の資本主義社会において、欲望とお金は密接な関係にあります。

なぜなら、お金は人々の欲望を満たすために作られているからです。
(お金は信用創造によって、投資(消費)によって作られる)

より美味しい食べ物を食べるためにお金を使う、
より綺麗な服を着るためにお金を使う、
より高い社会的地位を獲得するためにお金を使う(賄賂等)。


先ほども述べたように、欲望に従う行動は責められるものではなく、それに伴ったお金を使う消費行動もまた、責められるものではないのかもしれません。



資本主義において、GDPの増加が国の成長にとって、必要条件である。という言説がよく唱えられています。
GDPについては、以下の式で表されます。

GDP = 消費 + 投資 + 政府支出 +(輸出-輸入)


そうなんです。
GDPは消費によって増進されるのです。


ということは、今の資本主義社会において、以下の公式が出来上がっています。

GDP増加が善

消費活動が善

お金を使うことが善

欲望のままが善


「なるほどな。そりゃそうだ。確かに。」
などの意見いただけるかと思いますが、
ここで疑いの目を向けていただきたい。


前々回の記事「お金の限界」でも述べたように、
お金や欲望のような、無限に増加するモノと、
地球の資源のような、有限の物質とを比較することは可能なのでしょうか?


また、人間の幸福についても考えると、

欲望を叶え続けることでしか幸福を感じられないのであれば、
束の間の幸福は幾度となく感じられても、
継続的な幸福を感じ続けることは不可能に近いでしょう。


もし人々の欲望追求が地球の資源を奪うシステムを加速させており、幸福にも繋がっていないのであれば、解決策は一つ。


足るを知る

これに尽きると思います。


仏教の教え「足るを知る」。

現状がパーフェクトであり、今あるもので自分を満たすものは足りていることを知れ。

無尽蔵な欲望追求は飽くなきものなので、今あるものを見つめ直してみては?

という教えかと、現時点では自己解釈しています。



話がまとまっておらず、何が言いたいかよく分からない記事になりましたが、足るを知るので、これで良しとします。(足るを知るの悪用)


冗談はさておき、文章を書く能力も、足るを知ることも、全く持って未熟であるので、

引き続き2020年も記事を書くとともに、

瞑想を実践していきます。




それでは、また




(記事を書き続け、文章能力の向上を目指すことは、足るを知ることと矛盾するのか、、?)

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